子どもが大きくなってきて、ふとさみしくなること、ありませんか?
なぜ?それはよくわからないのだけど…
育児は手探りです。正しいやり方なんてなくて、だからみんな迷って苦しんで諦めたり努力したりがんばったりがんばらなかったり何とかここまできたと言う感じ。
気付けば娘の背は私をこえて、息子は信じられないほどスポーツに夢中。
世の中は震災や台風を乗り越えて尚、コロナウイルスという非常にきびしいもので世界中悩み苦しみながら、東京オリンピックが間近なところまできた。驚きの展開ばかり。東北大震災の時にこんなことって!と思ったのに。
コロナ禍、仕事も出来ず子どもたちも学校行けず、4ヶ月も自粛。あー赤ちゃんだった頃みたいと思った。朝食べさせて遊んで昼食べさせて散歩して、お昼寝して、夕飯準備。毎日一緒で今日が火曜か水曜か木曜かわからない。楽なようで楽じゃない。気晴らしができない。でも仕事しているわけじゃない。楽なようにもみえる退屈な平和?な代わり映えのない日々。そんな頃を自粛期間中思った。
4月や5月だったけど、YouTubeでクリスマスソングかけたりしたの。子どもたちの勉強中に。最初は季節に合わせて卒業ソングをかけてたの。それもぐっとさみしい気持ちになった。音楽って心に響くよね。卒業ソングからクリスマスソングにかえたのは、例えば傷めた痣を少し押して、あぁやっぱり痛いって浸る感じ。出産してから、ふとするとさみしくなる。それに何か理由があるのかわからないしわからなくていいけど、時の流れとかあの時とか、どうしようもないことをふとした時に思ってしまうせいかも。
娘と初めて一緒に簡単なケーキを作った時は怒りっぱなしだった。笑いや笑顔の記憶がない。どうしようもなく母親失格だったなぁ。
今は中学3年。私を注意したりする。大きくなったなぁ。スマホの使い方教えてもらったり頼りになる。人間関係の悩みも相談したりする。
よく親と反面教師になるというけど、わかるなぁ。しっかりしてない親の子どもはしっかりする。
息子をほったらかして娘に字を教えたりしてたら、息子が風呂上がりに、立てない!歩けない!なんてことにって!抱き上げて小児科連れていったことがあった。2歳くらいかな。お医者さんが「お母さん、黙ってみててください。看護士さん、車のおもちゃ持ってきて~、はい、これね、走るよ~、」ミニカーをお医者さんが後ろに引っ張ってから放すと走り出して、我が子も走り出して追っかけた!え!仮病?
お医者さんは、お姉ちゃんばかりでなくてみて欲しかったんですよ、って。だって私、娘を怒ってばかりなのに。息子は娘に夢中な母親を自分に夢中にさせたかった、…。本当に母親うまくできなくて。そんな息子は小学6年生。小学2年生から始めたミニバスの最後の年。楽しいことも苦しいことも嫌なことも良いこともいっぱいあって、コロナ禍の中のマラソン、自主練習。久しぶりに仲間と練習したときは当たり前のことがこんなに楽しく嬉しいなんて!試合もしばらく出来なくて試合の大切さ。試合やれたと思ったらまた緊急事態宣言。また練習出来ず自主練習。マラソン。またできた、またできない、何回もそんな2年間。今少しはやれる。制限のなか一試合の大切さ。試合観に行った。人数制限、ソーシャルデイスタンス。観ながら試合やれてるだけで胸にこみ上げる。
大きくなった娘も息子も。
泣きたくなるのは更年期のはしりか…
さみしくなるのは子ども育てる副作用か。
やりきれない切なさはないときがない。
当たり前の大切さは色んな方法で知れる。知れてよかったけど苦しい。
県大会で優勝したけど関東大会はなくなった。まだまだもとには戻らない。
世界のオリンピックが始まる。
バスケットの強化練習試合に目を輝かせる。
息子も大きくなった。
娘は行きたかったライブがコロナ禍で行けなくなった。配信ライブばかり。
友だちと行くライブが待ち遠しい。
人数制限の抽選に外れてしまう。
そんなこんなでもう中学3年。
娘も大きくなった。
子どもに私も育てられて母親として少しは成長しているかな。
昔の自分から目をそらしたいけど、忘れられないものがたまに風のように気持ちを掠める。
さみしいなぁ。
さみしいなぁ。成長しているんだ。
やはり副作用ってことで(笑)