お久しぶりです。
いろいろ話したいと思いつつまとまらないし、落ち着かないし日々におわれていました。
豚キムチ丼と温素麺。
三色丼。
ピーマンの肉詰め。
これは全部朝ごはんです。
朝ごはんは簡単なものという概念にとらわれていますが、朝をがんばって、夕飯をがんばらなかった週の朝ごはんです。
概念ってありますよね。
例えば生まれ育つ家の生活がみんなもそうだと感じて生きていて、そうではなかったときの驚きや発見。
私はおにぎりに昆布を入れるというのが驚いた一つです。
私の育った家では昆布をおにぎりに入れてなかったので。
当時はコンビニもありませんでしたから、知り合いが分けてくれたおにぎりにこんぶが入っていてびっくりして、そしてそれが美味しくて驚きました。
ハンバーグや餃子を手作りするのも驚きました。
私の母はそれを手作りしなかったから。
子育てしながら思うのは、私たちのもとで育つこの子らの概念も作られていくんだなぁと。
よく旦那が、「これは常識だろう」とか「これは教えなくてもわかってないと」とかいうようなことは家族や世間で知らされていくことだと思います。
逆に教えて身に付くものでもないのでしょう。
親も子どもと共に親として育てられます。
私は親に向いてなくて色んなことから逃げたり隠れたりしながら毎日なんとか過ごしています。
向き合ってがんばるのは大変だから。
いつまでも落ち着かない世の中と同じように生きているうち落ち着かないのだろうと最近は諦めないといけないと思っています。
昨日は娘の吹奏楽のコンクールを観に行って初めて生でみました。
娘が中学一年生で吹奏楽部に入って、そのときのコンクールはまだ一年生だからと、来年から観に行こうと思っていたら、コロナ禍になりました。二年生、三年生のコンクールは無観客でした。活動も儘ならないまま、卒業して、高校生になりました。
今回も自分の子どもの高校の演奏しか観られません。
でもコンサートホールで合奏を観れて聞けて感動しました。
娘も別に吹奏楽が上手な高校へ入ったわけではありませんが、運動部に負けず劣らずながんばり振りで、なかなか先生や先輩も厳しく指導する部活です。
娘に「吹奏楽部って大変なんだね」というと、「吹奏楽部ってそういう部活だから。真面目で厳しい人も多いから」と。
これも吹奏楽部の概念なのかしら。
確かに一人一人の演奏がちゃんと綺麗に合わせなければならない、団体の協力が大切な難しさがあります。
読書でデフシリーズ四作目を読み終わりました。
コロナ禍も文章で綴られていて、どんな人もこんな世の中になるなんてと戸惑ったことを思い出しました。
その本で、今風に言えば、「それな」に出逢いました。
親の愛は無償
子供の将来を心配して
より苦労の少ないように
だからといって
それが正しいとは限らない
正しいかどうかなど
誰にもわからない
私も子どもの為を思っているけど、実は苦労している子どもの姿をみていられない、みたくない自分がいます。
たえられない。
自分の為に子どもの苦労を取り除こうとしている気もします。
若いときの苦労は買ってでもしろっていうけど、苦労は易々とできなくて苦しむわけだから、それが成長に繋がるとしてもなかなか出来ません。
でも、どこかで誰でも苦労はするんです。
私は小さい頃から家族のもとにいたときはあまり苦労せず過ごしてきました。
今は育てる側になればそれは本当に有り難いことだったと思います。
そして今は少なくても苦悩したり苦労したりしています。
不安も多く未来は心配や不安でいつも曇っています。
だけどそれが生きているということです。
なんとかなるか、なんともならないか、なるようになるか、考えて疲れてまたお酒頼って寝てしまうし、今も逃げることは怠らないなぁとあきれ果てます。
息子のクラブの送迎の時の夕方。
この日もなんかさみしくなって。
夕方は切ないです。
娘も息子も未来は輝いているのだろうか。
親の言葉は聞いているようで聞いてくれない。
それがいい。
親も言いたいだけで言い聞かせたい訳でない時はあるから。
夜で雨で息子の送迎。
今を受け入れていくしかないんだなぁ。
読んでくれてありがとうございます。