お久しぶりです。
もう2月になりました。
節分が終わり次はバレンタインデー、そして3月には雛祭りですね。
そしてもう卒業シーズンで春がグッと近付きます。あっという間に年度末で新しい年度になるわけです。
今朝のニュースでクマが冬眠をしないでうろうろしているというニュースをやっていました。
うちの娘がテスト前でも寝る前に韓国ドラマをみないといけないと言います。
朝起きると眠いというのに、そのヘンテコなルーティングを崩すつもりはないようです。
だからクマの親子の画像にアテて、「韓国ドラマをみないとやっていられないから寝てられない、冬眠なんてもったいない!」なんて言ったりしてと、娘に朝から言ってみました。
苦く笑って朝からテスト勉強です。
夜のドラマをやめられないから。。
昨日は息子のクラブチームの練習の送迎でした。
私は最近の物価の高騰と年明けの今後の遣り繰りの不安でますます節約をがんばっています。
なので、家に帰って、また迎えに行くガソリン代を削ろうとして練習場所の近くのスーパーへ時間を潰しに行きます。
するとちょうど値引きの時間がやってくるわけです。
スーパーによって値引きする時間が決まっていて、惣菜コーナーに芸能人でもきたかのような人だかりになります。
私も恥ずかしげもなくそこに加わりシールが目当てのものに張られるのを待ちます。
バスケットボールのスクリーンアウトさながらです。
いい場所がとれなければ目当ての品物をゲットできないわけです。
狙いを定めたものがみんなの狙いかはわかりません。
しかしあとひとつしかないものだったりすると、スクリーンアウト次第です。
不思議なものでそういう気持ちが似たような人たちが集まると意外と変な優しい譲り合いの気持ちが生まれたりします。
「お前がそれを欲しがるなら、私はこちらでも構わない」
「みんな同じ気持ちだから五個全てなんて買わないよ、一個ずつでいこうではないか」
…誰もそう思っているかはわからないですが、牽制しあったり、労いあったりはある気がします。
色んな人がいます。
料理をしないで惣菜に頼る人はもちろん、私のように主婦の人もいます。
油や卵、小麦粉、肉や魚まで高くなる訳ですから、全部出来上がった惣菜が作るより安くあがる場合もあるわけです。
唐揚げやハムカツ、コロッケなどが私は狙ってしまいます。
なかなか倍率が高く難しいのが寿司パックです。
話が逸れますが、スシローの動画ではさすがに行きたくなくなりました。
回転寿司というちょっとしたテーマパーク的な要素を含む飲食店はみんなの尊厳があってこそ成り立つんだなと改めて思いました。
SNSの拡散やフォローの為に過激なものの発信にアンテナが立つのも時代でしょう。
民間警察がいっぱいな訳ですが、それも違法です。
プライバシーも線引きもよくわかりません。
さてスーパーの値引きに群がる話ですが、私のような主婦だったり、また仕事帰りのお父さんだったりもいるわけですが、またまたそれをこう思っちゃう訳です。
雛鳥が待つ巣に餌を持ち帰る親鳥が獲物を狙う瞬間。
(笑)
値引きシールが張られる瞬間をいい場所で待つしがない一主婦が。。
さて、そんなアホな考えをする程、気持ちが少しは落ち着いてきたかもしれません。
何も変わりはなく、しかし不安を家族に打ち明けて、みんなが少しでも節約だったり、お金の使い方を考えてくれることが気持ちを楽にしてくれます。
自分の不安を家族にわかって貰うというのはこんなにも気持ちが楽になるということを知りました。
なぜか不安は隠さなきゃならない気がしていたのです。
よく学校で嫌な目にあったり、苛められたり、理不尽なことが起こったりした時、家族に言えなかったりするのと似ています。
ちゃんとやれているよ、
そう思わせなきゃならないと破裂しそうになっていました。
虚勢を張ってしまうのでしょうか。
また旦那と筑波山に登ってきました。
今回は山頂から景色が見渡せました。
今回は背中にやましいものを抱えて登りました。
そのせいかとても険しい登山に感じました。
やましいものは真ん中のノッポなやつです。
はくがついてしまって…
天気は良くてもまだまだ寒かったのであたたまりました。
下りはロープウェイで。
出店で大判焼きとチョコバナナを子どもへお土産で買いました。
もうすぐ読み終わりますが、今はこれを読んでいます。
読み始めて読んだ気がすると思ったので二回目かもしれません。
だけど最後がどうなのか思い出せないので読んでいます。
別れは淋しいことではない。
出逢えた結果のゴールだ。
そういう考え方もあるんだなぁとしみじみしました。
この話しは主人公が小学6年生の男の子です。
社会人の姉と小学生の妹と喫茶店をやっているお母さんと家で何をしているかわからない過激なお父さんと暮らしています。
東京で、裕福ではない家庭で同じような友だちと学校を楽しんでいる少年です。
読んでいて、今は親である私が子ども時代を懐かしく苦く考えてしまう物語だと感じます。
子どもには子どもの社会があり、親に何ともして貰えない難しさが、そういえばあったなぁと思い出しました。
親や先生は目線が違うのです。
そもそも一時の解決のためにしか動いてくれません。
根こそぎ解決できなく、何なら大人はもっと子ども社会をかき乱して、小さな吹出物が手術が必要な位膿ませてしまうことになりかねないのです。
大人に振り回されて傷付きながら思春期を過ごす少年目線がとても心動かされます。
我が子も「母さんに言ってもしょうがない」とどれだけのことを諦めたかな。
当時の私もそうだったし、そう思うことはある意味必要なことのような気もします。
今は母さんには母さんの上手く行かないわかって貰えない難しさがあるわけで、誰もがどの瞬間もそうなのだろうと思えます。
節分の時のお面も配るスーパーが殆どなくて、ギリギリで見つかりいただきました。
読んでくれてありがとうございます。