癖の強い奴等で支えあう。

なんともう四月、私の思い切り苦手な春が過ぎて行きます。

また旦那と色々出掛けました。
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水戸の偕楽園に梅祭りみにいきました。

三月の方が天気よかったんでないかなって思いました。


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鹿島アントラーズ!またしてもいってきました。


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東京へも行きました。

桜残念ながら蕾でした。


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ドラマ、春になったらのロケ地行きました。

若い頃こんな風に二人で出掛けたと懐かしくなりました。

近くでは桜まつりでおしること甘酒を無料で配っていて地域の人が盛り上げていました。

東京も同じだなぁと驚きました。

何もかも別世界に勝手に思ってしまっていた私でした。


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近くが月島もんじゃ焼きストリートで美味しくいただきました。

アルバイトの新人さんの初めてのお客さんになりました。

焦りながらも会話もしてくれて一生懸命で応援してあげたくなりました。

実は娘も初アルバイトを始めたばかりで重なります。

かちどき橋に旦那はテンションあがっていました。

 

人と人が関わるというのはいろんなことがあるなぁとつくづく思います。

娘は丸二年間頑張った吹奏楽部を辞めました。

辞める決断をする前に相談されました。

我が子の辛さや切なさは親はきついものです。

余程私だったらと誰もが思うでしょう。

それが些細なことでも変わってあげたくなるものです。

鈍感な私と敏感な旦那との間にできた娘は敏感で息子は鈍感です。

誰にも良さや短所や苦手や得意はありますがスルーできなかったり顔に出たり、我慢してたものが溢れたり平気な時はもう限界たったり、あと少しがもう限界なのかもしれないと感じました。

どうにも見守るのがこんなにもたいへんなことだとは思いませんでしたね。

学校せいかつで学べることはいっぱいあるんだなぁ。

人と関わるのは生きている内続くことだし。

 

私のパート先もそうですが変わった人多いです。

しかしそれが絶妙にいい人間関係を築いている感じもします。

人には個性があり、強い癖があっても誰もが働いて生活の糧にしなければならないわけです。

そういえば娘のバイト先も変わった人が、多い上、なぜか最近外国の人が多いです。

コロナ禍が落ち着いて、留学や出稼ぎいます。

日本は円安で治安もよくて物価は上がってもなぜか頑張って頑張って安く提供しようとして外国の人にも人気がありそうです。

娘はバイト先で先輩外国人に仕事を教わります。

優しくて丁寧で、そして年下の娘に日本語を教えて欲しいといってきたそうです。

初めてのバイト先でこんなにも待遇がいいなんて、当時の私はよくバイト先でも怒られたなぁと今では懐かしいです。


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ラーメンが好きな私は娘を誘って人気なところに食べにいきました。

野菜の普通がこの大盛りのモヤシです。

野菜少なめが娘の方です。

実はこのテーブルには酢が置いてなくて、私はいつも入れてしまうのですがこれは入れなくてもすごく美味しかったです。

とん嬉というお店です。


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パート先で生クリーム安く買えてイチゴにたっぷりつけて食べました。

息子はカステラがなくてこれは最高だ!とパクパク食べました。


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三月のみきおくんは四月、毛をいっぱいブラッシングされて興奮しています。


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湊かなえさんのポイズンドーター、ホーリーマザーの中の優しい人の最後の文章があまりにも響きました。

優しい人の我慢と犠牲の上において、かろうじて成り立っている

優しい、とは?

と思うことあります。

子どもには、自分がやられて嫌なことは人にもしてはならないといってきました。

しかし同じことを娘にも息子にも言っていても同じようではない。

娘は色々我慢したり気を遣ったりした時があったのでしょう。

小学生か中学生の時に「私だったらあんなことはしないのに!」「私はあんな風には言えない!」と家で泣いたり叫んだりしたことがありました。

私は自分の嫌なことは人にはしないでと言ってきたけどそういう泣き叫ぶ娘を見守るのが苦しくて、「言わないとわからない人もいるし、そんなに気を遣っていたら平気だと思われるでしょ」と言ったことありました。

もういつもなにやってるんだか、なに言ってるんだか、正しいことは何なのかわからない毎日を手探りでいくしかない子育てです。

だけどこれからも手探りでいくしかない。

間違えることあってもなおして変えていくことができると、やめることも逃げることも休むこともできると、最初から正しくいくことなんて難しすぎると気付きたいものです。

 

 

ギンギラギンにさりげなく

三月になりました。

あっという間に節分、バレンタインデー、雛祭りがおわりました。


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毎年同じちらし寿司に蛤のお吸い物です。

旦那が手術して入院してたのですが、三月一日に退院できて雛祭りを一緒に過ごせました。

バレンタインデーですんで、すぐに入院だったので行事は一緒でしたね。

旦那が居ない時に限ってなかなか雨予報が続き、子どもの送迎が増えたり、部活のバスケの試合があったり、部活の吹奏楽部のホール練習があったり、…旦那の有り難みを実感する日々でした。

そんな時に夕飯メニューに久々タコライスやりました。


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このミートソースみたいなのにはセロリを入れました。

実は旦那がいるときはセロリを入れませんし買いません。

セロリが大嫌いな人なのです。

私は大好きで子どもたちも嫌いではないのですが、前にセロリを買って旦那以外で食べようとした時に「あいつが冷蔵庫にいるだけでいやだ」とほざいたのです!

久々のあいつを三人で味わいました。

 

題名が気になりますよね…

よく矛盾って言葉がありますよね。

そしてギャップ。

そしてあまのじゃく。

微妙に違うかもしれませんが、微妙に似ていますよね。

私はそんな言葉の時になぜかこの、マッチの歌の歌詞の「ギンギラギンにさりげなく~さりげなく~生きるだけさ!」を思い出すのです。

私は子どもの頃からおかしな歌詞だなぁとよく思ったものでした。

しかし今はとても魅力的な歌詞だと思います。

人はなぜか矛盾を、ギャップを、あまのじゃくを愛して求めてしまうのです。

ギンギラギンにさりげなく生きてぇ!

 

しかし息子が尖ったあまのじゃくで苛つきます。

やるな!と言えばはじめだしたり、やめろ!と言えばやめずに続ける。

やって!やりな!やってみたら!はストップの合図のようです。

…しかし自分にも似たところがあるのかもしれません。

私はブログのネームを旦那の嫌いなセロリにしています。昔やっていたブログからそうです。

根に持つあまのじゃく。

いつまでも反抗期みたいな陰険な奴かもしれません。

 


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淳子のてっぺんを読み終わりました。

よかったです。

今は男女の差別が格段に減っている世の中です。

あるかと思っても以前に比べればだいぶ減りました。

旦那の面会で病院行った時も、看護士さんが誰一人スカートをはいていませんでした。

職業、趣味、学校など前よりやりやすくなっています。

これはノンフィクションで、登山を生き甲斐にまっとうした淳子さんの実話です。

周りや世間ばかりでなく家族や登山仲間の中でも女というだけでやりづらい中、やはり何物にも代えられない譲れない登山が、淳子さんになくてはならない人生の生き甲斐そのもので、それをまっとうするためにいろんな大変さを乗り越えた物語でした。

一番理解して欲しい家族に理解され励まされて、それまでがんばってきてよかったと思いました。

同じく故郷福島を離れて東京で過ごす女性らしい人生を歩む姉からの言葉が沁みます。

女だって男に負けない人生を送れる、そんな淳子を誇りに思う。
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私たちは「女には無理」ということやろうとしているのに、女であることで揉めていたら世間の思う壺だって

女は女であることに自信を持ちたい、男尊女卑がありとあらゆる場面で苦しくなるときに、女だけでがんばろうとして、しかし女はつくりが違うのかなかなかうまくいかない、そんな時の言葉です。

自分も女で思うのですが、よいところもわるいところもあるのです。

まぁ男もそうでしょう。

時代も女に向かい風で、だからこそ負けず嫌いのごとくがんばれることもありました。

できないと言われたら、やるしかない!やってやろうじゃないか!

これはまさしくギンギラギンにさりげなく生きた人生じゃないでしょうか。


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こんにゃくチャプチェ、はまって何回もやりました。

こんにゃくっていう低カロリーな食材が罪悪感なく食べれます。


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鶏のむね肉、ヘルシーなのに美味しいです。

クックパッドは素晴らしいです。

色々な文明の進化について行けない中、クックパッドは「あれ、なにこれ、凄い!」と感動しました。

食わず嫌いと一緒ですね。

やらないと良さはわからないわけです。

それなのに、そこまでわかったのに、いまいち積極的になれない文明の進化への接触…こればかりはマイペースに行きます。


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お互いゆっくりいこう。

焦らず無理せず自分らしく。


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旦那が入院中、求めてやまなかったのがこってりラーメン。

退院して自分は少ししか食べれないのに、気分だけでもと連れていってくれました。

…なんていい人なんでしょう。

いない時セロリ食べたりしちゃうし、なんかセロリきらいだからって自分のブログネームにしちゃったり、でもブログの開設は旦那にして貰ったり写真いっぱいとって送って貰ったりする私なんだけどね…

またまたかきたいことばかり…読んでくれてありがとうございます。

 

 

生きることについて。


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お久しぶりです。

いつかの朝です。空の雲がまるで人魂のようで思わずパシャリ。

空模様だけみるとそれが朝日か夕陽かわからなくて方角で判断しました。

朝日と夕陽はまるで気分が違うのに見た目はこんなにも似ている。

それはまるで人の生死にも似ています。

 

今やっているドラマ、春になったら、みて考えさせられます。

私は大事な友だちを二人、四十代になってからみおくりました。

一人は突然、一人は余命というものと闘いながらでした。

ドラマでは、余命を告げられて生きるタイムリミットを過ごしながら、やり残したことやこれからは自分の居ない人生を歩む家族のことを考えながら生きる、もうすぐ逝ってしまう心情と、

その人をみおくらねばならない辛さと、これからの人生を寂しくても悲しくても乗り越えて生きていかなければならない心情が、それぞれ描かれています。

悔しくもそのタイムリミットがなにもかもが新しく始まる桜さく春になっています。

まだドラマも途中なのですがやはり描きたくなったときに描かなければ気持ちがわからなくなってしまうので、すみません。

突然逝ってしまった友人への挨拶に昨年の夏、やっとコロナ禍がおさまりいけました。

ブログでも追悼で載せましたが、今もみおくった彼女のお母さんはふとしては涙を溢してしまうと言っていました。

いつも空に話しかけてやみません。

悔やんで自分を責めたり、ああすればよかったかもこうすればよかったかもと思ってしまいます。私にもいっぱいそんな話をしてくれました。

「セロリちゃんも子どもいっぱい抱きしめてやって」

「あっという間に大きくなるよ」

悲しくても寂しくても後悔しても生きていかなければなりません。

「きっとお母さんに笑っててほしいと思いますよ、人の心配して大丈夫だ、といつもいってくれる彼女だったから」

何の足しにもならないかもしれない言葉だけど言わずにいられませんでした。

もう一人の友人、余命と闘いながらがんばったママ友の命日が迫っています。

彼女が逝ってしまったのは悔しいことに、息子の高校の入学式が終わってすぐでした。

彼女の息子と私の娘が同級生で三歳の時に一年間過ごしたすくすく教室で仲良くなった人でした。その時にはもう闘病中でした。

打ち明けてくれたときからどこまで家族と過ごせるかという不安や残して逝ってしまう心配を打ち明けてくれていました。

私はその人の気持ちよりも残されても生きていかなければならない人の気持ち側にいてしまいました。

生きているときから考えるだけで寂しかった。お母さんがいなくなる子どもの気持ちも苦しいと思いました。

本人の孤独に寄り添えなかったかもしれないと後悔してもそれを越えて寂しかったのです。

彼女も私も一人っ子でした。でも彼女も私も娘と息子の母になりました。

彼女がいつまでも生きると思い込みたくて余命なんて変えれると思って、思い込んで悲しみから逃げていて。

もっと会えばよかった。

後悔。

どんな形であれ、逝ってしまう方も、みおくるほうも悲しみや苦しみや想いはおなじなのに、いる世界が違うくなる。

似ているのに全然違うくなる。

朝日と夕陽のように。

 

こんなこと考えてしまうのは、旦那がちょっとした手術で今日から入院なので。

旦那には頼りっぱなしの私だから。

旦那も心配も悔しさも怖さも色々抱えながらでもやはり誰よりも家族のこと考えて病院へ向かいました。

私は頼りないけど何となく、やはり妻で母なので、何となくがんばります。

 

変な思い残しないよう、泣いてしまった旦那とのお出掛け、鹿島アントラーズをリベンジしました。


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楽しくて美味しかったです!

しかし帰ってきたら娘と息子が家の手伝いを一つもやってなくてお父さんぶちきれてしまって。。

入院前で私への負担が心配だったことがそうなってしまったのでしょう。

そんな家族想いの強いお父さんなのです。

 

他にも行きました。


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めんたいパーク。

大洗にあるのですが茨城県来たらおすすめです。楽しいです。


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家族で念願の韓国料理食べに行きました。

それがハプニングで、行こうと思ったところがことごとく激混みで、息子が反抗期かそこは行きたくない、俺は家で留守番するとか言ってて、予約も出来なくて、二転三転してやはり行くとなったのに!という経緯もあって、ようやく辿り着いた店でした。

だから当初行く筈でなかったのです。

うちの家族は新しい店を開拓するのがなかなかうまくできません。

やはり楽しみたいから誰かといって美味しかったところや調べて調べて行くところや結局いつものところになってしまうのです。

今回は何と行き当たりばったり。

なぜなら三店回った後に、娘が調べたところに電話して、「今から予約しないで行っても食べられますか」で了承を得てナビで向かったのです。

せっかくの久々の家族での外食がトラブルでなくなるか、いった店でお父さんが機嫌わるくなったりしないか不安や心配がありましたが大丈夫でした。楽しめました。

人は人の気持ちや思いを時に汲んで時に受け流し何とか楽しめるようその時をお互い大事にしようと何だか精一杯がんばった結果が、楽しめた感じでした。

娘や息子は家族より友だちとの時間が何より楽しくて仕方ない時です。

親は見守りながらたまに一緒に過ごしたくて、。切ないものです。

自分だって親の気持ちなんて散々無視して好きなようにやってきたくせに。

時代もかわったなぁとまるで年寄りみたいに思う毎日です。

ニュースでみました。


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マルハラ、と言うみたいです。

ラインの文章の最後に「。」をつけると、みた相手が「怒っているのかな」と感じるというのです。

若い人がチャットのやりとりなどで「。」をつける習慣がないのでそう感じてしまうかもしれないという意見でした。

「。」をつけてる年輩はそういうつもりもなくただ普通になのにという場合もあって。

何がハラスメントなの?と感じます。

ハラスメントと騒がれる人だってそのつもりがないのならば、ハラスメントにたいしてハラスメント受けているんじゃないのかな。

苦しいね。

誰もかれも。

生きやすさなんてない。

生きるってそういうことかも。

まだ読み終わってないのですが、じゅんこのてっぺんという登山に一生を捧げた人のノンフィクションを読んで胸を熱くしています。

ブログを遡ればノンフィクションを苦手としていた私はこんなにもノンフィクションを面白がっている。

不変はないなぁ。

生きてるということはそういうことか。

登山はわかりませんが、もう逝ってしまった親友のお母さんが好きで小学生の時に誘われて母子同士で登山して頂上で一泊した経験を思い出しました。

登山も極めれば生死をいやというほど意識しなければならない。

そして今も問題になっているなんでも男世界の中で女が女として登山を頑張っている姿見が描かれています。

いつの時代も生きづらく生きていく。

生きていくということはがんばって一歩ずつ遅くても休んでも前にいくことなのでしょう。

好きなことや細やかなこと、ふとしたことに助けられながら後ろ向きな気持ちを背負っていても、前に進んでいくのでしょう。

 

なにもかもいつものごとく描きたいだけで描いたものを読んでくれて

ありがとうございます。

ありがとうございます

言いたいことを言えない、聞いて欲しいけど話したくない。

今年もよろしくお願いいたします。

 

元旦から辛くて苦しいですね。

まさかの地震で被災して今もままならない生活の人たちがいます。

帰省で助けられたという人も中にはいたようです。

私も秋田と福島に帰省しました。

我が子や孫に会うために一緒に年越しするために張り切って楽しみにしていた人も多いはずです。

いつものことですが過ぎてしまえばあっという間の年末年始でした。

年明けに本屋にいって、ある本をパラパラめくり読みしました。

題名は確か、誰にでも言い分はある、というような感じでした。

あぁ確かに、と深く思いました。

小競合いやいざこざ、揉め事は言い分のぶつかり合いです。

誰もが間違っていなくて誰もが正しくも間違ってもいる、だから妥協点がなかなか見出だせません。

題名で読んでも納得いきましたが読むほど「わかるけど…仕方ないかも」と思ってしまいます。

買えませんでした。

人には自分の物差しや価値観があってそれを譲れるかどうかの許容範囲がそれぞれあります。

私はそれを譲れる方だと思います。

それでも主張しすぎる人ばかりいたら苦しくっていっぱいになってしまう、ひどい、何で私ばかり合わせなきゃならないの、どうして相談してくれないの?そんなにあなたは正しいの?どうして同意を得ないの?となってしまいます。

誰もが間違っている、苦しめよう等とは生きていない訳で、だからこそ自分に自信があって他人の意見に耳を傾けない人は人を自分のレールに乗せようとしてしまいます。

言わない人がわるいと言うなら言えない雰囲気を出している人もわるいと思います。

生きづらく生きているうち悩むのがまた学びなのでしょう。

仕事場で家庭で実家で友だち同士で、どこでも言いたいように生きれる訳はありません。

帰省中も旦那のお義母さんは潔癖症なのでルールが多くて苦しくなります。

しかし郷に入れば郷に従えでがんばりました。

うまくやれないことも納得いかないこともありました。

しかし一人でがんばってしっかり生きているのが何より助かっています。

私の母のようにうまく言いたいことが言えなくなっては我慢しかないですが言いたいことを言えて一人で何でもやれるのが何よりなのです。

しかし仕事場でも主張の強い人に合わせてびくびく働く私はお義母さんと家事をしたりするのが仕事以上に大変でした。

自分の城に帰ってきてやりたいようにやれる幸せを噛み締めています。

言い分という意味では被災した人のインタビューも頷けました。

「何が不足していますか?欲しいものや困っていることは何でしょうか?」

「…それは人によって違うと思います。食べ物が不足していると感じている人もいれば、寒くて寝れないという人もいると思うので」

納得しかありません。

本当に言い分だらけなのです。

 

私はよく本を読みわかった気になって納得した気になって、…それが同じような経験をすると何もわかっていなかったことに気付かされます。

そうなんだろうな、と

そうなんだ、は

天と地ほど違うのです。

年末年始に読んだ本の解説がよかったです。


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本の内容はもちろん面白くよかったのですが解説でのこの文章がこころを打ちました。

フィクションにしか出来ない仕事があるとしたらこの「誰もが言うに言われぬ思いをあえて言語化すること」ではないかと思っている。

そうだと思います、本当に。

私も言いたいけど言えないことがあります。

それを少しはブログにかきます。

そういうことは誰もが抱えているのです。

それをフィクションやノンフィクションを読んだりして共感したり感動したりするわけです。

年末一人で窓際のトットちゃんの映画を観てきました。


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一人でいったからか泣いてしまいました。

私にも通ずるものがありました。

動物、生き物が育てたいという想いや今が永遠に続くような気持ちが裏切られる時や理不尽なルールに頷かなければ生きていけない時代だったり。

辛い時代や苦しい経験の中にもいい出逢いやいい思い出があって嫌なことがその良さを際立たせてくれる、人は幸せだけでは幸せを感じられない複雑な生き物です。

だから動物より罪深いのかもしれません。


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年末にNHKで以前感銘受けた小説、デフヴォイスがドラマ化していてみました。

感動しました。


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秋田駅には大きい秋田犬が飾られていてみんな正面で写真を撮っていたのだけどなぜかお尻のところを可愛くて撮ってしまいました。

あきおくんとつがちゃんというキャラクターで秋田と津軽から命名されたようです。

なまはげあきたこまちなど、何だかほのぼのしてこれまた撮ってしまいました。

秋田のコンビニで売っていたお握りが鮭をぼだっこというのをそう書いてて懐かしさのあまり買って食べました。

しょっぱくて美味しかったです。


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年明けて秋田から福島、そして茨城に戻って家族で初詣行く車から虹がみえました。

こちらは霞ヶ浦で湖です。

霞ヶ浦大橋からです。

鹿島神宮へ初詣いってきました。


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旦那と特設された牡蠣小屋へ行ってきました。

娘も息子も友だちと出掛けるのに夢中なので二人で。

なんて酒に合うのでしょう。

炭の香りがまた食欲増進です。


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息子が東京へ友だちと遊びに行ってなぜか高い抹茶プリンを一つだけお土産に買ってきました。

娘が小さい頃から抹茶が大好きです。

姉弟喧嘩ばかりでうんざりするのにたまにこういうことがあるのがきょうだいの不思議でしょうか。


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福島名物イカニンジン。

お義母さんが作ってくれていつもいっぱいご馳走になってきます。

娘が茨城でも食べたいといって、2人で作りました。

美味しかったです。

 


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年明けの番組で佐々木希さんが笑ってて、元気貰えます。

こう言っちゃなんだけど、旦那さんがあんなことでそれでも別れる道を選ばず2人目の子どもを出産して仕事頑張っていて、なんか応援したくなります。

秋田出身で同郷というのもありますが、何だか許してしまう、そういう優しさある気がします。

子どもが一人だとその子が辛いかもしれないと思ってしまいます。

私は一人っ子なので親の大切さが支えがどれ程かはかりしれません。

何を考えているかどんな想いかは知りませんが元気もらえるし応援しています。

経験して辛いことでは、育児での様々な躓きがあります。

その中でも娘の夜尿症が大変でした。

今もふとした時にそれはあります。

私が母としてだめで、私のせいもあるかもしれないと思ってもなぜそんなに私ばかりとなってしまった時期がありました。

孫が可愛くて悪気なくいう言葉は私を追い詰めました。

孫がまともでない、正常でない、何かあれば親のせい、母親のせいといわれる、しっかりみてやって、やってみて、こうやって、あーやって、頭がおかしくなりそうでした。

実際おかしかったです。

どれだけ怒ったかわかりません。

何でこうも母親は辛いのかと投げ出したかったです。

子どもは怒られたくなくて、嘘をついたり隠したりします。

私のせいとわかっていてもそれもまた苦しくてまた怒ります。

信用できなくて布団が濡れていないか布団を嗅ぎます。

それはまるで土下座するように。

それはまるでイスラム教のお祈りのように。

この前イスラム教の祈りがテレビでやっていて、私みたいと思ったのでした。

それを時には面倒と、ほっといて、また黙ってしていたり、任せて嘘つかれたり、それをどれだけ繰り返したかな。

年末掃除を子供部屋勝手にやったら失敗の代物が隠されていて…。

子どもをどれだけ追い詰めたんだろう。

私が追い詰められた分、子どもも追い詰められたんだろう。

それ以上かもしれないし。

私は母親に向いてない。

キャパがない。

家族の中でも今年は運勢が一番わるいようです。

とにかく言えないこと、でも言ってしまいたい、聞いて欲しいけど、我慢して話さないでおくべきことかもしれないことを少し話してしまいます。

誰もが不安や心配や辛い我慢を抱えて生きてます。

比べようもないです。

みんなキャパシティが違うから。

寄り添ったつもりもつもりで経験がないとわからなくて。

読んでくれてありがとうございます。

クリスマスイブの夜に。

あっという間に年末です。

記事を書こうとためていた写真たち今年のうちに。。


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旦那とカレーフェスティバルに行きました。

11月でした。

とても人気のイベントで初めて行きましたが美味しくて楽しかったです。

実は旦那とアントラーズのサッカーをこのフェスティバルの前に出掛けた時、久しぶりに口喧嘩になって苦しくなって帰ってから子どもいる前で泣いてしまったのでフェスティバルでは楽しめてよかったです。

塗り替えたくて同じ香水をつけていきました。

私は悲しかったり苦しかったりした出来事は塗り替えるべきと思っています。

避け続けるのは難しいから。

でも暫くサッカーの試合は行きたくないです。


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娘がみきおくんにお洒落におやつをあげました。

柴犬はボケやすいから魚をあげた方がいいと獣医さんにいわれているのでサバの水煮が載せてあります。

あっという間に食べたと言っていました。


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旦那とイルミネーション観に行きました。

子どもが小さい頃はわざわざつくばのイルミネーションに足を運んでいましたが、近い土浦のイルミネーションもとても綺麗でした。

子どもは友だちと観に行くようです。

キッチンカーも出ていてテンションあがりました。

金麦をコンビニでかって片手に飲みながら寒空のイルミネーションは最高でした。

またしても同じ香水をつけていって楽しい経験値で自信をつけました。

まだ気にしている自分がいるみたいです。


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娘がみきおくんが可愛く撮れたとよく写真を送ってくれます。

本当に可愛いみきおくんです。


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息子が突然、肉巻きおにぎりを食べたいといって、検索して作りました。

激ウマでした。

クックパッドの男の肉巻きおにぎりみたいな記事でガツンと美味しかったです。

息子はいつも突然そういうこと言ってきてやらないと気が済まない人です。

だからやった方が説得してやめるより面倒が少なく済みます。

学んだ結果です。


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クリスマスツリーがよく似合うみきおくんです。

この味のある、みる人がみれば切なくさみしいツリーも我が家な感じです。

誇らしげにしているみきおくんもおもしろいです。

今日が我が家のクリスマスパーティーでした。


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肉は朝から煮込んでとても美味しかったです。

ケーキはチョコと生クリームの2種類で小さめを買いました。

お寿司は私の手作りです。

マグロの赤身とサーモンとホタテ、美味しかったです。

今日は朝からスーパーいって、買い出しして、肉を煮込んで寿司を握って夜ご飯を堪能して、夜はゆっくりM-1グランプリを家族とみました。

そういえば昨年は記事を遡ればわかるのですがクリスマスカップというバスケの試合でクラブで出してもらえず、それは実力がないから仕方ないのですが、悔しくて息子がクリスマスの肉を泣きながら食べたクリスマスパーティーでした。

今年は夏の終わりに息子がクラブチームをやめたいといい、やめて部活のみになりました。

昨年は今年がこうなる想像はできなかったですね。

明日からどうなるかなんて考えても悩んでも予想もつかない訳です。

いろいろ思い出したり考えたりします。

私にとっての母親は打出の小槌みたいな、ランプの精みたいな人でした。

困ったら頼ったら必ず助けて願いを叶えてくれる人でした。

大丈夫といってくれる人でした。

脳梗塞で手術して、助けてくれた父親を「父さん、父さん」といってわがままも言わず言えずがんばって過ごしている母親は私のことも「父さん」とよびます。

表現はうまくなくなって打出や魔法はなくなっても私は私で母親を見習ってがんばっていかなきゃいけないと思わされます。

嘆いてしまったり不安や心配で苦しくても私には子どもがいて、頼りになる旦那がいて。

あんなに心強かった当時の母親が素晴らしいと思っても真似できない私は何なのだろう。

もうすぐ福島と秋田に帰省します。

故郷。

これからどんなふうになるか考えても悩んでも思うようになる未来がなくても夜は明けて日はまた上り、雨はいづれやんで晴れる。

私の苦手な変化は、私の苦しい時も悲しい時もいづれ癒されて楽しい穏やかな時に変われる可能性を常に確かなものと教えてくれる。

家、ついて行ってイイですか?の番組でいろんなことを乗り越えてきた人たちがいう言葉の重さが響く。

人はみんなすごいなぁと感じます。

私は私なりにダメな日もあるけどがんばろうと思います。

読んでくれてありがとうございます。

メリークリスマス。

今年もありがとうございます。

みなさまよいお年を!

最近は幼少に戻る。

よく歳を取ると子どもみたいになると言いますね。

私は最近、何気ないことに緊張したり寝れなくなったり食欲わかなかったり、あります。

懐かしいと思ったりします。

小学生、保育園の頃、そんな日々でした。

仕事でうまく行かなかった職場でもそうでした。

たまにそれはなくなったかなって思えば、なくなってないよと教えてくれるようにそれはやってきます。

よかったこともあります。

太れない。

便秘がなおる。

あー世界はなんとなく平等だと思える。

いつも解決できないことが何となく解決できたりするわけだから。

精神的に追い詰められると身体が素直に動き出す。

私がうまく行かなくて泣いたり苦しんだりすると、子どもたちが夢中で勉強したり手伝いを積極的にやったり。

旦那が優しくなったり。

世の中は苦と楽を何かしらで両方くれるのかな。

究極は戦争とか、そうするとあらゆるものがそぎおとされて、尊いものが残るものね。

人生は常に問いかけ試しているのかな。

苦しいことです。

私は間違うことが多すぎるから問わないでほしい。

今日は寝れなくて苦しくて嘆いてしまってすみません。

バカだな~

そうだよ!

アホだよ

そんな感じだな~

皆さんのブログをみると過去の自分も思い出されて懐かしく切なく励まされます。

何も知らなかった自分が懐かしい。

どこまでも幼くてすみません。

家族に恵まれているかもなぁ。
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そうだよ!アホだよ!

‥ですよね。

読んでくれてありがとうございます

最近のニュースをみて思うこと。

お久しぶりです。

最近急に秋らしくなり、寒さに気持ちも体も追い付かない毎日です。

色々描きたいことは山ほどあってもそれを整理できず、気持ちのままに押し出して描いてみる元気もない10月でした。

実は10月は私自身の誕生日があるのですがそれゆえとてもナイーブになりやすい月でもあります。

そんな自分に嫌気もさしますが、それが私らしいと納得もします。

そんな10月を引き摺りながら11月もきている感じです。

今日は仕事を休んで、朝から山岡家のラーメンを大盛、餃子も付けて食べてきました。

もちろん一人で。


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息子の友だちが「油多め」にハマっているときいて、初めて「油多め」の大盛で食べました。

秋田の友だちが山岡家のギョーザを辛味噌で食べると美味しいと言っていたのでそれも真似して食べました。

美味しかったです!

久しぶりにお腹のかわがぴりぴりするくらい満腹になりました。

 

色々心配や悩みは尽きません。

考えても解決する訳もなくただくるものを受け止めて行くのだなぁと最近は思います。

 

タイトルにかいたニュースは、宝塚歌劇パワハラやいじめについてです。

実は私は小さい頃から宝塚歌劇が大好きでした。

青春そのものでした。

だからこそ悲しく寂しく苦しいニュースでした。

スマイルアップでも、誹謗中傷に傷ついてこの世を去った人がいたようです。

好きなだけにショックが大きいです。

韓流にハマって好きだった時も韓国では日本が大嫌いだけど日本では稼げると思って割りきって仕事しているタレントが多いらしいと聞いただけで、好きな気持ちが裏切られる気がして韓流をみなくなったりしました。

私は自分が応援したり好きだったりしたら勝手だけど意地悪や汚ないことはみたくないです。

あまりに子どもっぽい考え方ですけど。

宝塚歌劇が好きで高校で演劇部に入って。

当時から思ったことは夢中になれば時間も忘れて家に帰っても台本を作ったり、授業中も部活のことを考えたり。

やはり乗り越えて過ぎてしまえば何もかも武勇伝みたいに語られることも、やりすぎ行き過ぎが当たり前みたいになるとき、そこから逃げ出せなくなったりするのは本当に苦しいことです。

今回の宝塚歌劇のニュースをみてても悲しいくらい死人に口なしで、生きている人の証言しか生かされいかない現実です。

スマイルアップ同様、宝塚歌劇にもたくさんのファンがいて、たくさんの社員がいて、その人達の家族がいるわけですから、みんながみんな同じ気持ちにもなれないのは当然のことですから。

しかしスマイルアップも今そこに在籍する人に影響ありすぎてどうなんだろうとおもってしまいます。

紅白に出れないとか、そういうのがあるのでは被害者の誹謗中傷もあって、やはり在籍しているだけでも被害者であるのに仕事が減ったりしてはうまくいかないことばかりになってしまいます。

輝かしいことには闇が付き物なのかもしれませんね。

副作用的に。

それがあまりにも副作用で収まらなそうなのは世の中に明らかになるのかもしれません。

SNSで誹謗中傷はこわいですね。

相手を特定できないからと言い過ぎてしまったり、言いたい放題だったり。

やる方も好きの裏返しにそうなったりもあるのかなって思ってしまいます。

アンチがいるのは人気の証拠ですから。

負けるが勝ちや逃げるが勝ちもあります。

宗教のこともいくら訴えても変わらなかったけど、安倍総理のことで大きく変わって動いています。

人や周りや歴史を変えるのは大変なことです。

何かを変えるより自分が変わる方がいいかもしれません。

そういえば宇宙へ行った前澤友作さんが今朝のニュースで言っていました。

「地球にもっと優しくなりたい、人にももっと優しくなりたい、地球みたいに前より丸くなりました」

いい星に住んでいるのかもしれないと思わされました。

 


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お月見の時に娘のリクエストで骨付き肉でヤンニョムチキン作りました。


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お友だちに栗をもらって、栗赤飯作りました。

これも美味しかったです。

 

前回はSNSの苦しさも描きましたが、良さもあります。

故郷、秋田の同級生とのグループライン楽しんでいます。

何気ない会話を離れていてもできるのは幸せです。

誰も楽しいだけの人生はないわけです。

読んでくれてありがとうございます。

やはりなに言いたいかまとまらないけどそれが私のブログですね。


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