変化を嫌う

以前は占いが好きだったといいましたが、その占いで。

思わず買ってしまった占いの本で、ビビってきたのが、私の誕生日の人の性格に、

「変化を嫌う」

そう書かれていたのです。

そのときまで生きていて、本当にしっくりきたのです。その言葉が。

昔から春が苦手でした。新学期にわくわくするなんてなくて、どっちかといえば緊張で、早く馴染めますようにと願う感じです。

もちろん週明けの月曜日も苦手だし、行事も苦手、イベントも得意でなくて。

どうしてみんなと違うんだろう。

どうして私だけこうなんだろう。

それも何年も繰り返していたらなんとなく慣れてくるわけですが、この言葉に出会ったとき、占いってすごいなぁと思ったんです。

それなのに、今は占いはどうでもよくなってきていますが。

今は占いしたところでって感じです。

変わらない自分は変えないからで変える気がないからです。

苦手を得意にすることは努力すればできるのだから。

 


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今日はのび太の誕生日で、うちの息子の誕生日です。

当時里帰り出産でした。

予定日過ぎてもなかなか陣痛がこなくて、やっと生まれた日の朝のニュースで、今日はドラえもんのび太の誕生日です!とアナウンサーが言ってました。

同じ日に生まれた同室のお母さんと、どちらも男の子だったので、のび太みたいになったりして~なんてにこやかに話したのをおぼえています。

里帰り先は秋田で、その日はお墓に赤飯を持っていく日でした。

各地で変わった慣わしがあるように秋田の一部地域では8/7にお墓に赤飯をあげます。

同室の人がその話しもしていました。

それから間もなく、うちの子は黄疸が強くでて、一緒にいられず、マタニティブルーでカーテン閉めて泣き通しでした。

退院も一緒にできなくて、上の娘がいるのにしっかりしない母親でした。

今では元気にミニバスケットをしていて、当時は懐かしいばかりです。

育児をしていると変化ばかりです。

つまり苦手をがんばっている状態です。

今はどうでもよくなったものの中に、スピチュアルの世界観もあって。

スピリチュアルの本にはこの世に生まれたら色んな学びがあって、その学びでは育児があったり介護があったり。

だから私は育児で学ぶ必要があるんだろうなぁとか思ったりしたけど。

つまりもう生きて関わるすべてが学んでいるんだろうなぁと思う。

無駄なことはない。

それにしても、占いやスピリチュアルってステキだったのに、胡散臭くなってしまって、心が荒んでいるのかな。

よく旦那が育児書みたいに、当たり前で立派な発言するとき、さらっと正しいこと言って!と思うのと似ている。

現実的っていうか、そればかりというか、それだけ。

色んなことが恥ずかしくて飲み込んでばかりの時の自分はどこへいったのだろう。

モスバーガーで、モス畑っていう飲み物を注文するのが恥ずかしくて、言えなくてって時の自分は自分なのか?

レジで安くて買ったものが安くなってなくても言えなくて。

今はすぐいう。会計中にいう。

後からいうと倍時間かかるから。

変化を怖れていた私は、確実に変化していっている。

年頃の娘は、いろいろ恐縮して、私にばかり注意する。

母親は化け物になったか。

 

昨日、お酒飲んで、すると電話したくなって、本当にダメでなおそうと思っていることなんです。

酒って本音が出ちゃうし。

相手も飲んでればいいけど、素面だったり。

だよね、あーやっちまった!

いつもそれです。

私はO型なんだけど、以前お台場遊びにいったときに、

「O型 後悔しても反省なし」

そういう言葉が書いてるキャップが売っていて。

もちろんB型は

「B型 自己中」

他の血液型は覚えてないけど。

そのO型の言葉、刺さっても、わかるんだけど変えられない。

変えたい気持ちが弱いんだなぁ。

しょうがない。

 

今、旦那がおもしろいこと言った。

「犬派?猫派?っていう質問する奴、俺嫌いー、それで話って続く?!」

まぁどうだろう? 

だけど随分自分とかけはなれた人間と結婚したなって思う。

私、昔、その質問した気がする。

学び半端ねー。

変化嫌ってるわりに、変化強化。