言いたいことを言えない、聞いて欲しいけど話したくない。

今年もよろしくお願いいたします。

 

元旦から辛くて苦しいですね。

まさかの地震で被災して今もままならない生活の人たちがいます。

帰省で助けられたという人も中にはいたようです。

私も秋田と福島に帰省しました。

我が子や孫に会うために一緒に年越しするために張り切って楽しみにしていた人も多いはずです。

いつものことですが過ぎてしまえばあっという間の年末年始でした。

年明けに本屋にいって、ある本をパラパラめくり読みしました。

題名は確か、誰にでも言い分はある、というような感じでした。

あぁ確かに、と深く思いました。

小競合いやいざこざ、揉め事は言い分のぶつかり合いです。

誰もが間違っていなくて誰もが正しくも間違ってもいる、だから妥協点がなかなか見出だせません。

題名で読んでも納得いきましたが読むほど「わかるけど…仕方ないかも」と思ってしまいます。

買えませんでした。

人には自分の物差しや価値観があってそれを譲れるかどうかの許容範囲がそれぞれあります。

私はそれを譲れる方だと思います。

それでも主張しすぎる人ばかりいたら苦しくっていっぱいになってしまう、ひどい、何で私ばかり合わせなきゃならないの、どうして相談してくれないの?そんなにあなたは正しいの?どうして同意を得ないの?となってしまいます。

誰もが間違っている、苦しめよう等とは生きていない訳で、だからこそ自分に自信があって他人の意見に耳を傾けない人は人を自分のレールに乗せようとしてしまいます。

言わない人がわるいと言うなら言えない雰囲気を出している人もわるいと思います。

生きづらく生きているうち悩むのがまた学びなのでしょう。

仕事場で家庭で実家で友だち同士で、どこでも言いたいように生きれる訳はありません。

帰省中も旦那のお義母さんは潔癖症なのでルールが多くて苦しくなります。

しかし郷に入れば郷に従えでがんばりました。

うまくやれないことも納得いかないこともありました。

しかし一人でがんばってしっかり生きているのが何より助かっています。

私の母のようにうまく言いたいことが言えなくなっては我慢しかないですが言いたいことを言えて一人で何でもやれるのが何よりなのです。

しかし仕事場でも主張の強い人に合わせてびくびく働く私はお義母さんと家事をしたりするのが仕事以上に大変でした。

自分の城に帰ってきてやりたいようにやれる幸せを噛み締めています。

言い分という意味では被災した人のインタビューも頷けました。

「何が不足していますか?欲しいものや困っていることは何でしょうか?」

「…それは人によって違うと思います。食べ物が不足していると感じている人もいれば、寒くて寝れないという人もいると思うので」

納得しかありません。

本当に言い分だらけなのです。

 

私はよく本を読みわかった気になって納得した気になって、…それが同じような経験をすると何もわかっていなかったことに気付かされます。

そうなんだろうな、と

そうなんだ、は

天と地ほど違うのです。

年末年始に読んだ本の解説がよかったです。


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本の内容はもちろん面白くよかったのですが解説でのこの文章がこころを打ちました。

フィクションにしか出来ない仕事があるとしたらこの「誰もが言うに言われぬ思いをあえて言語化すること」ではないかと思っている。

そうだと思います、本当に。

私も言いたいけど言えないことがあります。

それを少しはブログにかきます。

そういうことは誰もが抱えているのです。

それをフィクションやノンフィクションを読んだりして共感したり感動したりするわけです。

年末一人で窓際のトットちゃんの映画を観てきました。


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一人でいったからか泣いてしまいました。

私にも通ずるものがありました。

動物、生き物が育てたいという想いや今が永遠に続くような気持ちが裏切られる時や理不尽なルールに頷かなければ生きていけない時代だったり。

辛い時代や苦しい経験の中にもいい出逢いやいい思い出があって嫌なことがその良さを際立たせてくれる、人は幸せだけでは幸せを感じられない複雑な生き物です。

だから動物より罪深いのかもしれません。


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年末にNHKで以前感銘受けた小説、デフヴォイスがドラマ化していてみました。

感動しました。


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秋田駅には大きい秋田犬が飾られていてみんな正面で写真を撮っていたのだけどなぜかお尻のところを可愛くて撮ってしまいました。

あきおくんとつがちゃんというキャラクターで秋田と津軽から命名されたようです。

なまはげあきたこまちなど、何だかほのぼのしてこれまた撮ってしまいました。

秋田のコンビニで売っていたお握りが鮭をぼだっこというのをそう書いてて懐かしさのあまり買って食べました。

しょっぱくて美味しかったです。


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年明けて秋田から福島、そして茨城に戻って家族で初詣行く車から虹がみえました。

こちらは霞ヶ浦で湖です。

霞ヶ浦大橋からです。

鹿島神宮へ初詣いってきました。


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旦那と特設された牡蠣小屋へ行ってきました。

娘も息子も友だちと出掛けるのに夢中なので二人で。

なんて酒に合うのでしょう。

炭の香りがまた食欲増進です。


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息子が東京へ友だちと遊びに行ってなぜか高い抹茶プリンを一つだけお土産に買ってきました。

娘が小さい頃から抹茶が大好きです。

姉弟喧嘩ばかりでうんざりするのにたまにこういうことがあるのがきょうだいの不思議でしょうか。


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福島名物イカニンジン。

お義母さんが作ってくれていつもいっぱいご馳走になってきます。

娘が茨城でも食べたいといって、2人で作りました。

美味しかったです。

 


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年明けの番組で佐々木希さんが笑ってて、元気貰えます。

こう言っちゃなんだけど、旦那さんがあんなことでそれでも別れる道を選ばず2人目の子どもを出産して仕事頑張っていて、なんか応援したくなります。

秋田出身で同郷というのもありますが、何だか許してしまう、そういう優しさある気がします。

子どもが一人だとその子が辛いかもしれないと思ってしまいます。

私は一人っ子なので親の大切さが支えがどれ程かはかりしれません。

何を考えているかどんな想いかは知りませんが元気もらえるし応援しています。

経験して辛いことでは、育児での様々な躓きがあります。

その中でも娘の夜尿症が大変でした。

今もふとした時にそれはあります。

私が母としてだめで、私のせいもあるかもしれないと思ってもなぜそんなに私ばかりとなってしまった時期がありました。

孫が可愛くて悪気なくいう言葉は私を追い詰めました。

孫がまともでない、正常でない、何かあれば親のせい、母親のせいといわれる、しっかりみてやって、やってみて、こうやって、あーやって、頭がおかしくなりそうでした。

実際おかしかったです。

どれだけ怒ったかわかりません。

何でこうも母親は辛いのかと投げ出したかったです。

子どもは怒られたくなくて、嘘をついたり隠したりします。

私のせいとわかっていてもそれもまた苦しくてまた怒ります。

信用できなくて布団が濡れていないか布団を嗅ぎます。

それはまるで土下座するように。

それはまるでイスラム教のお祈りのように。

この前イスラム教の祈りがテレビでやっていて、私みたいと思ったのでした。

それを時には面倒と、ほっといて、また黙ってしていたり、任せて嘘つかれたり、それをどれだけ繰り返したかな。

年末掃除を子供部屋勝手にやったら失敗の代物が隠されていて…。

子どもをどれだけ追い詰めたんだろう。

私が追い詰められた分、子どもも追い詰められたんだろう。

それ以上かもしれないし。

私は母親に向いてない。

キャパがない。

家族の中でも今年は運勢が一番わるいようです。

とにかく言えないこと、でも言ってしまいたい、聞いて欲しいけど、我慢して話さないでおくべきことかもしれないことを少し話してしまいます。

誰もが不安や心配や辛い我慢を抱えて生きてます。

比べようもないです。

みんなキャパシティが違うから。

寄り添ったつもりもつもりで経験がないとわからなくて。

読んでくれてありがとうございます。