よく犬にアテレコします。
「涼しくて昼寝最高や!」
…はたして本当にそう思っているかはさだかではありません。
娘がスマホのアプリで動物が思っていることをみれるようなのがあって、それをやった時、犬は「一人にしてくれ」でした。
このアプリが当たっているかはさだかではありませんが。
つまり動物に癒されること事態が勝手な解釈の上に成り立っていたりします。
世の中はそんなことに溢れています。
思い込みで病気になることもありそうです。
決め付けで人を嫌いになったり、言われていない文句を言われたと思い込んだり、誤解が事実を生んだりします。
恐ろしいことです。
私が幼い頃、土曜日の午前中がまだ学校だったので、土曜日の夜が最高に嬉しい時でした。
日曜の朝には少し、もう日曜が始まったか、という緊張と、今日は休みだという嬉しさで、日曜のサザエさんが始まる辺りからは絶望的でした。
東芝の「この木なんの木、気になる~♪」のCMの歌なんて胸が押し潰されそうでした。
月曜日に日直だったらもう絶望的でした。
こんな私も何度も同じ苦しみをルーティングして今日にたどり着いています。
こんな話を面白おかしく友人と分かち合う時は笑い転げて共感して、なのにやはり日曜の夜は苦しくなって、それなのに、必ず月曜日はやってくるのです。
それは学生時代に関わらず、仕事を始めてもそう思います。
ただ前よりはましになっている気もします。
もう43年も生きてきて、子どももいて、月曜日を恐がっているっていう母親もないですから。
その母親がちゃんと学校行って、しっかり勉強してね!なんていうにはやはり月曜日をそんなに表立って憂鬱に感じてはならないです。意地でも。
だけど子どもたちも「あー月曜かぁ、学校かぁー」
そしたら私も「母さんも月曜きちゃって仕事嫌だけどお金欲しいからがんばるよ…」
そんな感じです。
だけどもだけども。
コロナで長い自粛期間。茨城県では2020年3月から5月までの3ヶ月間学校行けませんでした。
その時の学校の恋しさといったら。
各家庭での宿題。リモート授業。
外でも遊べず。買い物も連れていけず。
こんな日が来るとは❗
そんなことを乗り越えて学校行ける日々はわるくないです。
ちゃんと学校でみんなと学べるってありがたい。
学校で学ぶことは良いことばかりでなくて嫌なことほど社会に出たときに役立つかもしれないです。
私の月曜日の憂鬱は今もありますが、それで仕事をやれなくはない。
嫌なこともルーティングで学んだんだなぁ。
友だちが憂鬱になっても、落ち込んでも、結局その時は来るんだから、憂鬱になったり、落ち込んだりは損だよ!って。
わかるー!だけど勝手にそうなるー!ってのが私です。
勝手にそうなるーって。
家のテレビ。
線の先に丸い玉。
これオリンピック始まった頃から育ったんです。
最初は2センチ位の線で、それからその線が伸びて伸びて。
そしたら先っぽが太ってきて、太って丸くなってきて。
旦那は「これなんか咲くのか!」
一方で、「テレビ買い替えたい!」
…どうなるのかな?
ここに出現したこれはどう変化していくのだろう?
興味がないといったら嘘になります。
私は愛着すら沸いてきてます。
テレビ買い替えたくないっていう気持ちもあるからかな…
考え方でいい方にもわるい方にもとれることはいっぱいあって、いい方に考えたら、考えられたらって思います。
余裕ないと無理なんだけど。
楽しんだもん勝ちだと思います。
そこに持っていくのは自分の気持ち。
考え方で楽に行ける。