にゃんにゃんにゃんの日に思い出す残酷なこと。


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今日は猫の日なんですが、なんと2022年で2が3つ付くのでスーパー猫の日らしいです。

実は犬を飼ってますが、小さい頃からずっと飼っていたのは猫です。

猫は私にとってかけがえのない存在です。

一人っ子の私は小さい頃から生き物を飼いたくて様々なものを飼いましたが、中でも猫は特別でした。

抱っこ出来たり、話しかけられたり、みているだけで癒されて寂しくありません。

一人っ子は一人でいることに慣れていますがどこかで冷めているというか、諦めているというかそういう子どもが多い気がします。

そんな心の隙間を埋めてくれたのが猫です。

初めて飼った猫が死んでしまってその夜から寝る前に毎晩走馬灯のように猫との楽しい日々が甦り泣き寝入りする毎日になってしまって、小学生だったのですが、そんな私をみていられない母が知人にいろいろ声をかけて猫を連れてきてくれました。

今、親になればその親の気持ちがわかります。

そんな風に猫を飼い続けた我が家でした。

そのなかで15歳に飼い始めた猫が35歳まで生きました。

私は18歳で県外の短大にいき、独り暮らしを始めたので帰省の時に可愛がるばかりで、世話や生活を共にしたのは母であり、父、当時生きていた祖母ですが。

トラという猫です。

トラは私が中学を卒業して高校入学、高校卒業、短大入学、独り暮らしを始め、たまに帰省して、結婚して二人の子どもを生むために二度里帰り出産をした時も人生を共にしていました。

私がこんなにも自分勝手な生き物なのに、私が実家に帰ったときは私と一緒に寝てくれたりしました。

二度の里帰り出産の時は子どもを生む前にお腹が大きいときお腹にのぼってくれました。

母は「トラが安産祈願してくれたなぁ」と言ってくれていました。

二人目の時はトラがもう介護が必要な位弱っていたのにお腹にのぼってくれて感動しました。

その時は母は「赤ちゃん入っているから、トラあったかいなぁ」とトラに声かけてました。

そんなトラは女の子でした。

子どもを生んでから去勢しました。

トラは子どもを生んだとき、ミーミーなく子どもをいろんな所に運びながら隠し場所をかえて、なんと一匹噛み殺してしまいました。

とてもショックでした。

母が「トラは子どもが捨てられるかもしれないって思って、ノイローゼなったかもしれない」と言ってました。

そんなこともあったので去勢しました。

今母の立場になれば、私もトラみたいに自分を見失いかねない時があることを認めざるを得ません。

ニュースでは虐待で命が絶たれた悲しい報道があります。

あってはならないと思いながらも私もそのすれすれまで追い詰められることの酷しさが少しわかるような理性が抑えられない自分がいる気がします。

それは、

なんでなんでなんで!

どうしてどうしてどうして!

と、誰のことばも信じられなくなってしまって。

本当はケアしてなおしてもらわなければならないのは虐待する方だというのをテレビでみました。

海外だったと思いますが、日本は子どもを保護しますが、その逆に親をケアするような話がありました。

私は、叩き続けたり、水をかけたり外に出しっぱなしにしたりはしませんが、もう気持ちは苦しくてトラがなき続ける子猫を黙らそうとしてうまく行かなくて間違ったみたいな追い詰められる感じを子どもを育てる中で何度も感じています。

その頻度は少なくなってきても、たまにすごくそれを感じて、理性で蓋をするのに必死になるときがあります。

恥ずかしい人間だと思います。

弱いと思います。

情けないと思います。

自信もない。

そんな母でごめんね。

今はいろんなことを教えてくれた母も脳梗塞の手術後はむずかしい話しはわからないし、アドバイスももらえないし、相談もできない。

なんであんなにおおらかで穏やかで働き者の母からこんなにも訳がわからない私が生まれて育って、こんなにも母と真逆な子育てをしてしまうのだろう。

母は大好きで尊敬できる。

私の子どもは私をそうは思わない。

うまくはいかないけどはじめてはじまってしまっているからなんとか精一杯。

いつもそればかり。

トラは二十年生きました。

猫は昔、十年以上生きると猫又という妖怪になると言われていました。

十年過ぎた辺りから、母と「なんと可愛い妖怪だろう」と笑って見守っていたのも懐かしいです。

トラは最後の年はほとんど歩けなくなって、鳴き声も化け物みたいになって、ご飯やトイレの時はすぐその声で母をよぶようになりました。

私は猫も人間も同じだと思いました。

私の母にとってもトラは支えでした。

また猫飼ったら?といったら「最期まで面倒みれなかったらかわいそうだから」

切ないですが。

たまに帰省に犬を連れていくととても喜んでいます。

そんなこともコロナ禍でしばらくできなくなっています。

旦那が自分の実家と私の実家に孫チャンネルというものをつけてくれて、それで孫の写真や犬の写真を送ったりしています。

便利な世の中です。

画像わるいですがトラの写真です。


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一緒に写っているのは娘です。

もうぎぇーぎぇーとなくトラの後を追いかけて、ご飯もひとりで食べれないトラの口もとに食べ物を運んであげたりしていた二歳や三歳の娘です。

 

にゃんにゃんにゃんの日。

トラにあいたい。

 

 

 

 

この1週間を振り返ってみて。


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コロナ禍と言えばバーベキューって感じです。

たまには!という外食の楽しみもいついったかな?

あっ!年越しそばの時でした。

それでアウトドアや出掛けるのが好きな旦那が肉を買いにいってささやかにバーベキューランチをしました。

日曜日みたいに何曜日もずっと家にいてリモート授業の息子は大喜びでした。

娘も受験勉強の息抜きはもっぱら北京オリンピックをみることだけなので、美味しい!と頬張っていました。

せっかく炭をおこしたので、こんなものも用意しました。


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レンコンは私は美味しかったけど、子どもには不評で、じゃがバターは二人で取り合いになっていました。

祭りや屋台、出店など、家族で大好きだからそういう機会がないのは残念です。

しかしこうやって、家の庭でバーベキューをやって食べるのもなかなかいいものでした。

ウンイナーも香ばしく焼けて、ご飯は塩おにぎりにしたら何個も子どもがおかわりをしました。

外で食べることも、炭の香りも、素材の味も手がかかってもよかったと思いました。

 

最近息子がよく口ずさむ歌があって。

CMなのですが。


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このCMなのですが、息子はこうやって歌います。

♪ハルルグッタイ~ハルルグッタイ~

……そしたら私がなんの英単語なんだ?と気になって。

これ有名な英語の歌なのです。

聞けばみんな聞いたことがある曲です。

ちなみに息子はあまり耳がよくなくて、学校の検診で再検査になったり、英語のヒアリングのテストはあまり良い点数が取れなかったり。

私も性格なのか、よく聞き間違えたり、前に突発性難聴と診断された時もありました。

だけどその診断の時にすごくお金がかかって、何度も通わなければならないとか精神的なストレスや神経質だったりとか曖昧な理由が自分で納得いかなくて通院もやめてしまいました。

もしストレスが原因なら、この通院にかかる時間やお金がもっとストレスと思ったのです。

子どもが小さくて手がかかる時期だと余計自分のことは放ったらかしになってしまいます。

不健康であることが呪いのように感じられて苦しかったです。

通院をやめて一週間位は聞こえが悪かったですが、その後は慣れたのか気にならなくなったし、生活に支障はないので、それっきりです。

でも息子が再検査になったときはショックが大きく苦しかったです。

小さいし、ストレスとかではなく、多分アレルギーが原因といわれましたが1年近く通って、それからはまた、再検査になったら考えようと通院をやめました。

そんな耳のことがあって、尚更そんな息子が聞いたまま歌う英語の曲が気になってしまった母です。

娘は中学生だし、英語のヒアリングもそんなにわるくはないので、そのCMの曲がかかった時「どう聞こえる?」と聞くと、弟が大きい声で歌っているのが印象強くてもうそういう風にしか聞こえない!っていうんです。

ハルルはともかく、グッタイはGOODTimeだと思うんだけど~という私を旦那が調べて助けてくれました。


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この赤線の部分です。

おおー!そうかそうか、うんうん、そう聞こえます。

少し英語に触れた瞬間でしたね。

よしとしましょう。

 


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バレンタインデーがあった今週、息子にはチョコをねだられ、毎年同じ生チョコとイチゴや市販のビスケットにチョコをつけて粉糖をかけたものを作りました。

写真におさめる暇もなくリモート授業のため、合間に食べてしまいました。

その残りの粉糖を使って娘にリクエストされたフレンチトーストを作りました。

カロリーが高いのはわかっていますが、娘も私も大好きでたまに作ります。

粉糖かけただけでこんなにも豪華にみえる!と感動しました。

まるで粉雪。

三歳違いの娘と息子は今年ダブル卒業どダブル入学になります。

この間、息子の制服の採寸にいきました。

中学は学ランです。

自分の中学の男子も学ランだったなぁと思い出してしみじみしました。

憧れていたセーラー服は私の中学は違って、田舎の中学生って感じの襟なしブレザーに紐リボンでした。

高校を憧れのセーラー服が着たくて行ったのに私の学年からブレザーになったという悲惨さです。

でも学園祭で実は演劇部だったのですが、先輩がセーラー服を貸してくれて役で着たらあんなに憧れていたのに似合わなくて笑っちゃいました。

もうすぐ中学生、高校生になる二人のために、お父さんと私の中学と高校の卒業アルバムを恥を忍んでみせました。

出身県も違う旦那と私。

旦那は中学も何クラスもあって、高校は大学の附属の私立高校です。

私はど田舎で、小学一年生から中学三年生まで学年一クラス、約40名が九年間でした。

アルバムの厚さが全然違う中学卒業アルバムです。

旦那はクラス委員長や部活の部長をやったりしていて、私と真逆にいる人でした。

そして懐かしく自分のアルバムをみて、中学の卒業式の写真が載っていて、粉雪が舞っていました。

3月はまだまだ雪が降る秋田県です。

春が近いようでまだ寒く、だけどおごそかな式典にこの雪景色はなんと素晴らしい演出をしてくれることでしょう。

高校の卒業アルバムには卒業式の写真はついていないのですがやはり雪が降っていたなぁと思い出しました。

茨城県に住んで、入学式に桜が満開だったり、桜吹雪の写真を残せたりするのも素敵と感じています。

今は一年中何でも手に入って、その時期の旬が感じられにくくなってしまっています。

便利です。

しかし鈍くなってしまったなぁと思います。

いい薬も副作用があるように何でも完璧って訳にはいきませんね。

 

そんな時にこの記事をみて、この表現に面白さを感じてしまいました。


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まず、ロマンスの辞典って!

私意外とこんなんでロマンチストなんですよ。

この1年という項目でこんな表現!

素敵です。

永遠と一瞬がそんな風に表せられるとは!

素晴らしい。

嘘でもこんなことを言われたらときめくだろうなぁ。。

新聞の一面には必ずコロナの県の人数が載ってその状況が載って、そんな一面でホッとする記事がこれです。

世の中もまさかがやってきますね。

今は相手の素顔をみることがなかなかできなくなっています。

マスク美人という言葉も生まれて、本当に深い付き合いの人にだけ素顔を見せることが普通になってきています。

最初は顔の筋肉も凝り固まったり、マスク荒れなんかも起ったり、外す時が楽で恋しくなっていました。

今は体質も変わったのか肌荒れもしなくなったし、マスクで顔が強ばることもなく、逆に外すと落ち着かなくなってきています。

ウイルスというみえないものから身を守らなければならない、そういう危機感が人を進化させるのかもしれません。

こんな時だからこそ、ささやかでも密やかでも、自分なりに楽しみや息抜きを見つけて、考え方も臨機応変に前向きでいきたいです。

自分にこそ言い聞かせてます。

自分のせいは自分のおかげ。

何でも背中合わせなんだから、いい方に持っていくか持っていけるかは自分しだいな訳です。

偉そうなこといっても上手く行っていないから、かくごとに刻むように自分に畳み掛けています。

がんばれ、みんな。

がんばれ、わたし。


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お疲れさま。

今日ははなきんですよ~。

お酒飲みます。

息子の送迎終わったら。

そして録り貯めしているものをみます。

あ、みるというか眺める感じになりますけれどね。

疲れが酔いを進めてしまいます。

よい週末を。

ありがとうございます。

 

 

ちえの輪、占い少し水瓶座。


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息子が千円ガチャで当てたちえの輪を、お父さんが暇潰しに今朝やっていたら全然外れなくて。

それをみた息子が貸して!と少しやったら外れました。

それはそれは悔しがって。

そこから家族で取り合いながらちえの輪を外すことに夢中になりまして。

なんと次に外せたのは私でした。

そしたらお父さんが悔しがって悔しがって。

だって家族の中でも間抜けの部類の二人が外した訳ですから。

娘に至っては、間抜けな弟とぼんやりした母さんに勝っても別にという感じで、さじを投げてましたね。

朝からちえの輪騒ぎで千円分楽しんだんじゃないかと思えたしよかったです。

昨日の朝は、関東雪が残っていました。


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家の庭にもさらっと残っていました。

私は生まれ育ちが秋田なので、こちらの雪が降ったときの対応が最初は驚きました。

今回も事前の対応で交通機関を使う高校は休校にしたところが多かったです。

中学生は歩きなので普通に行きましたが、夜の塾は休校になってしまいました。

塾だけが勉強の源になっているため、雪での休校が苦しくて。

やけくそでおもいっきり飲みました!酒を。


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どうしても、のどごしが好きだし、豆は美味しい。

名前がいかり豆とは。

まぁいいとして。

なぜこんなにも意志が弱くて情けないのか自分で苦しくなります。

自分のことはなんとかできても、人のことはどうにもならないということに無性に虚しくなる時があります。

とくに家族は近くでみえるだけに本当に苦しくなります。

県立受験日が1か月を切って、倍率もでて、それなのにオミクロンは日に日に増えて不安に押し潰されそうです。

最後の実力テストの点数がまたよくなくて。

それで母は心配で不安で酒を…。

酒でアルコール消毒!なんちゃって!

一時不安を退けてもそれはまたしても不安で不安で。

等の本人はなんと落ち着いていることでしょう。

それはどうしてなんだろう。


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俺は知らん。

ですよね。

息子のクラブチームの結果も来なくて。

セレクションで希望のところには6倍の倍率です。

母は酒で気持ちを休めなければなりませぬ。

ちーん。

そんな毎日、北京オリンピックやっています。

昨日は平野歩夢選手が金メダルをとりましたね。

インタビューで、2回目の採点が納得いかなくて怒って3回目をがんばったような話をしていました。

何がどういう結果になるか予想もつきません。

もし2回目でトップになっていたら、安心感が3回目にどういう結果をもたらしたか想像つかない訳ですから。

そんなことを考えていたらまた娘の受験へもどんなことがどんな風に影響するのか、押したらいいのか引いたらいいのか、何もしなければいいのか思ったようにやればいいのか、どんな言葉が響くのか、響かしたらいいのか、響かせなくていいのか、もうわからないことしかなくって、これがまだまだ続くのは恐ろしい限りです。

コロナ禍が酷い時はなぜかオリンピック、家族でみれて楽しい限りです。


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カーリング

実は娘の中学の修学旅行が日帰り遠足にかわり、長野県軽井沢へ昨年の10月に行きました。

修学旅行もそうですが何かを学ばなければならないのか、長野県へ行って、テーブルマナーとカーリングを体験してきました。

行く前は京都、奈良が長野になったことも、泊まりでなくなったことも、テーブルマナーやカーリングも残念だった娘。

しかし帰ってきたら、「楽しかった!」と喜んでいました。

テーブルマナーは食事の味がしなくなる程、同級生の動向に吹き出しそうになり、マナーだから笑いをこらえるのが苦しかったと家で大笑いしていたし、カーリングはこの重い球が思った以上に滑って向こうの壁まで滑っていったと笑い転げていました。

だから北京オリンピックでもカーリングがやっていたら勉強していた手を止めまくって見てしまう。

そしてお父さんは娘に床を擦ると結構球動くの?とか聞いたりして、もうベージン、ベージンとオリンピックに夢中。

…心配が増すのは私ばかり。

 

息子は小学生ですが今はずっとリモート授業です。

リモート授業だと、出欠をとる時に朝食を食べているこがいたり、授業やりながらお菓子を食べたりするこがいたり、授業に集中しないで、そういうこを見付けることに集中している、我が家の息子がいたり、本当にどうにもならないこの世の中にげんなりした気持ちになります。

またしても少年団の活動もお休みになり、予定していた最後の行事も延期になり、先が見えない毎日です。


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しょうがないんだ。

今はそういう時なんだ。

 

さて今月は水瓶座の月です。

水瓶座は私の実の父です。

水瓶座の人はスマートで人付き合いが上手な方が多い気がします。

何でも器用にこなして、人当たりがよくて上品です。

人を決めつけたりしないでありのままを受け入れます。

控え目なのになぜか目立ちます。

実は好き嫌いが激しかったりしますが、それを表には出しません。

それが相手への礼儀と思っています。

つまりなかなか本心が見えにくい不思議さが魅力になってしまったりもあります。

当たっているかはさっぱりわかりませんが私の周りの水瓶座さんたちはそんな感じであります。

さっぱり水に流すように聞き流してください。

今回も戯言ばかり、聞いてくれてありがとうございます。


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犬がいる日々


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ら~ら~ら らら~ら

ことばにできな~い

 

 

娘がスマホで撮ってた我が家の犬をみせてくれました。

ほんの一部ですが、もう胸が一杯だ。

あなたがいない日々は考えられない。

 

そして今年の節分のあなた。


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当時小学生だった娘が中学生に。

太っていた犬も健康のために痩せさせました。

 

長生きしてね。

私たちのために。

 

 

 

 

疲れ、考え方、やり方、在り方、悩みは尽きない。

とてもめまぐるしい今週です。

始まる月曜から憂うつでした。

何が憂うつかと言えば、娘の面談であったり、息子のクラブチーム見学であったり、さまざま。

そこに仕事も加わって、仕事は今とても人手が足りなくて、そういう時がなぜか新しい仕事を覚えるチャンスになってしまう職場ですから、精神的にも疲れます。

ピンチがチャンスというのは物語の世界では面白いのですけど、実際は酷しすぎます。

風と共に去りぬ、で、明日になれば日はまた昇る~と歌われてますが、憂うつな気持ちを背負って寝た朝は、!しまった!朝がきてしまった…と驚きます。

重い気持ちを背負って出勤してやれるだけやればその日は終わります。

助かるのが、私はみんなに助けて貰える得な生き物です。

みんなが何とかしようと動いてくれます。

占いで、みんなが助けたくなる存在と書かれていたことがあります。

占いもバカにできないと思えます。

そういう不思議な現象あります。

そんな占い、2月ですが、これ!


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良くも悪くも周りの影響を受けやすいあなた。

もうこの出だしが私の気持ちを掴んでます。

そうなんです!

泣きたいくらい当たっていて。

それで2月の運勢が、…

自分の意志でしっかり進むことができる!

そんな時があるんですか!

でも前回のブログにも描きましたが、

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

…これは胸に刻んでいます。

権威に椅りかかりたくはない

…これも胸に秘めています。

私は私の気持ちをいつも、何でか、

後回しにしてきてしまって。

それを旦那はきっとみていられなくて。

でも周りに合わせたり周りの気持ちを汲むのが得意でそれが私の良さだから、

何だか勘違いばかり。

母親になっても間違いばかり。

子どもに無理させたりしてしまう。

 

うまくいかない。

うまくいくやり方がわからない。

うまくやりようがない。

 

例えばこんな間違え。


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酢豚 すぶた スブタ と、言い続けて。

そういえば、

酢鶏

ものが違った!

豚肉なんか使ってない!

 

えがおかしいけど、つまりそもそも最初から間違っていたってこと、よくあります。

当たり前な簡単なこと、勘違いしたり、思い間違ったり、考え方変えられなかったり、落とし穴から這い上がれなかったり。

 

私は私。

鶏は飛べない、空は羽ばたけない。

そういうこと。

 

物事を難しくしたり、ややこしくしているのは自分でした。

人のことがわからなすぎて、こうかもしれない、あーかもしれないと考えて、もしかしたら相手のこと化け物や悪魔にまでしてしまう。

その逆も。

好い人だと、思いすぎて、裏切らないと思い込んで何でも話して、ばらまかれて、裏切られたと勘違いしたり。

自分が影響を受けやすいのはわかっているけど周りもいい迷惑ですよ。

わからないのは追求しなくていいし、在るがままで受け止めないと。

さっきの酢鶏、旦那のお義母さんにレシピ聞いて真似して作っています。

旦那のお義母さんは料理が上手です。

だけどそれも娘を産んだばかりの時はマタニティーブルーもあり、凄まじく尖りきった自分でした。

産後を心配して家事が大変だろうと料理を送ってくれた時は、家事しないで惣菜ばかり食べさせてると思われているのではないかと、勝手に思って、思い込んで、せっかくの料理の味もしなかった。

こういう風に相手の好意も意地悪にとったりしてしまったり、私が悪魔になってしまうこともあります。

今日、仕事で配達した先の人がとてもエキセントリックな人で。

前から人と違うなぁと思っていて、とても個性が強いんですが、敵もつくりやすく好き嫌いも激しいのですが、息子さんが二十歳過ぎていますし、前は育児やママ友、少年団等の悩みはなかったか聞いてみました。

そしたら、掃き溜めのように話が止まらなくなりました。

その人はママ友は作らなかったみたいです。

そういうのに気を遣って足並みを揃えることになんの意味もないと思っていたみたいです。

そうするとそのうち避けられて陰口を言われて、あそこの息子さん、お母さんがああで可哀想となったそうです。

でもそういうのは一時で、長い目で振り返れば無理せず自分が正しいと思うようにした方がいいとアドバイスいただきました。

今が一生じゃないと、

当たり前ですが、

気付かされました。

その方はエキセントリックで若干尖りすぎてますが好きに生きているような気がします。

私は私。

人は人。

人にあわせすぎて自分を見失わないように。

落ち着いて考えたい。

今ドラマで洗脳とかそういうのが日常でも、この前ブログでも親が子どもに洗脳とか、いろいろありますが、やはり自分の感受性は誰もが守るべきです。

影響を受けたというか、年末の蕎麦屋で、玉子焼きに大根おろしのせたのがすごく美味しくて家庭でも真似しました。


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大根おろし鬼のせ!

美味しかったです。

 

昔独り暮らしの時に近くに古本屋があって。

今風のブックオフみたいな感じではなく、味のありすぎる古本屋だったのですが。

そこで尾崎豊さんの詩集、つまり歌の歌詞がかかれたものを立ち読みした時に、僕が僕であるために、という歌の歌詞で、

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

 

この部分に全部赤線が引いてあったものがありました。

念を感じましたね。

古本には人生が載ってるなぁと思いました。

 

勝ち続ける人生って

どんなだろう。

 

疲れるかもな。

 

息子の少年団の仲良しでオミクロンこんなになる手前に遊びに行きました。


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みんな子どもの顔して夢中で遊んでました。

そのために母も少しはがんばります。

たまには。

 

私は私。

人は人。

 

明日はやっと金曜日。

がんばります。

明日も。

 

 

タイミングが奇跡、逃しちゃいけない、占い少し山羊座。

おはようございます。

昨日の夜、寝る前の儀式というかあるんですよ。

最近はまたお酒を休んでいますから、酒を飲んで寝るときは儀式も何もないのですが。

それは寝る前にベッドの脇にテレビがあるのですが、NHKか教育テレビ、つまりチャンネル1か2をみて寝るのです。

その理由は落ち着くから。

クラシックのオーケストラをやっていたり、歴史の謎をたんたんとはなしていたり、私の好きな心が整う料理番組を飾り気なしにやっていたり、教育の今を取り上げていたり、他の賑やかな番組と少し雰囲気が違うのが眠りにつくのに心地よいから。

それに受信料払っていますから、みないと、ね。

そしたら昨日、この人を紹介されていました。


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詩人、茨木のり子さんです。

時代が変わっても若い人が今、この人の詩をみて、心が動かされたり響いたりしているようです。

私もチラッとみただけでも心が掴まれました。

 


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自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

昨日のテレビではこの部分しかやっていなくて、それでもこの短い文面が私の心を締め付けました。

私は流されやすいと嘆きながらいつも何かのせいにして大事な自分の感受性をほっぽらかしていたんじゃない?

 

いつも思うのはこのタイミングでこれに出逢えた奇跡をちゃんと受け止めて自分のものにしていこうってこと。

ちゃんと変われるきっかけはあっても、自分が受け入れなかったり気付かなかったり、気付きたくなかったり。

 

ひとのせいにはするな

友人のせいにはするな

近親のせいにするな

暮らしのせいにはするな

時代のせいにはするな

 

 

してたーなにもかもしてたー。

 

 

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

 

やさしい最後の言葉。

励ましやエールに思える。

 

茨木さんは、戦争時代に死ぬことが正しいと言われた時代に子どもながらにおかしいと感じ、死ぬことが正しいなら、生まれてこないことがもっと正しいの?と疑問に思っています。

人に何が正しくて間違いかを言われて刷り込まれても、自分が自分で間違いかどうか判断して思って生きていかないと本当に間違っていたときに後悔すると。

 

自分で守れ

ばかものよ

 

はい!

 

こちらも検索していて響きました。


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倚りかかりたくはない

 

知らずにそういうじふんでした。

なにかこの言葉で道がひらける気がしました。

権威って怖くて苦手で自分を見失います。

切ないくらい、わたしも、

じぶんの耳目、じぶんの二本の足のみで立っていて、なに不都合なことやある、

でした。

そして最後にホッとする言葉が。

 

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

 

ですよね。

前に東京オリンピックで、菅総理が背もたれに背を預けてただけで避難されてて、可哀想でした。

その時ネットニュースでそれをみて、「もう背もたれなくすしかないな!椅子の背もたれってそういう意味なんだから背を預けたっていいじゃん!」と家族にいった。

そんな夏の出来事を思い出しました。

 

昨日番組でこの詩たちに出逢えてよかった。

 

 

さて今月メインは山羊座ですね。

山羊座の知り合いは、前にお世話になっていた社長です。

山羊座の人は仕事熱心です。

仕事が好きでがんばります。

がんばりすぎてしまうくらい。

面倒みがよくて、困っている人がいたり、頼られたりすると断れなくてがんばってしまいます。

よくもわるくもがんばり屋さんです。

休んだり手を抜くことも必要と教えてあげたくなります。

ですが良さとその逆は同じで手を抜けるくらいならその良さはないのかもしれないですね。

頑固さがまた自分の芯を強くしているところがあります。

当たってなくてもご愛敬でお願いします。

 

今日も読んでくれてありがとうございます。

 

 

年明けて2冊の本を読んで思うこと。


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私は昔から読書が好きです。

電子書籍が進んでも、やはり本を手にして読みたい。

新しい本から昔からの本まで様々読みますが、私が苦手なのは、ノンフィクションです。

物語はあり得なかったりする、だけどフィクションだから、と少し安心します。

ノンフィクションはやはり、考えさせられてしまう。

結構考えてしまう。

 

しかし、年明けに読んだこの二冊はノンフィクションです。

最初のは、かなり前に酒鬼薔薇事件をおこした少年Aの両親の手記です。

この本は友だちが貸してくれました。

友だちは娘さんが読んで、「お母さんも読む?」と聞かれて、何の本?とみて、驚いて読みはじめて、一気に読んだそうです。

私に読んですぐ電話で話したときに「普通に育てたみたいなんだよね、なんかこわいよね、どうしてってなるし、うちのこ大丈夫かなって考えちゃったりするよね」

私にも読んでほしいと言って貸してくれました。

読んだあとも何だかすごく考え込んでしまいました。

子供の異常に両親は気付かなかったようです。

しかしそんな悲惨な事件をおこしてしまう。

そして両親は死んで詫びたいけれど逃げずに子どもに謝りに行かせたいという手記でした。

親が子供の何に気付いて何に影響をおよぼしているか、そういうことは本当にわかっていない、間違ったり勘違いしているかもしれない、私は大丈夫なのだろうか?

私のこは大丈夫だろうか?

今更、人は殺してはいけませんと教えるべきなのか?

それは教えて覚えることなのか?

読んで感じたのは、家では優しい良い子供だった、だから尚何も疑わなかった。

問題は起こしてはいたけど、家でや親にはあまりにも良いこであった。

まさかうちのこが、と思うし、思いたい。

ましてや殺人なんて。

精神鑑定では事件当時は正常だった。

母親に弟たちを苛めるからと叱られたのが、かわった妄想や空想世界に生きるきっかけになったような鑑定結果であった。

これを読むとやはり母親が悔いてしまう。

余計に。

母であるだけでも辛いのに、自分の子育てが招いたことのように思うだろう。

しかしどこの母親も弟たちを苛める兄をほっとくだろうか。

しかしきっかけにすぎないといわれたらそうだろうし。

ともかくこの母親という立場に私もあるということが、大丈夫だろうかと思ってしまう。

答えはどこまでもでないから、次の本を読もうと読んだのが、凄いタイトルの本。

これは文庫化したすぐに買おうか迷ったけど書店で買う勇気が出なくて、ブックオフで何冊もの本の間に挟んで買った。

しかし、この本だけが100円でなかったために、店員さんに「こちらの商品は100円でありませんが大丈夫でしょうか?」と聞かれてしまいました。

隠しきれない隠し味でした。

さて気分もかわるだろうと読んだ本でしたが、読んだあと、また母親としての立場を考える結果になりました。

これはタイトルの通りの話なのですが、深いのです。

カバーの言葉がもろに響きます。

「普通という呪いに苦しんだひとりの女性の静かな叫びが多くの心を貫いた」

…普通って言葉って凶器だなって思いました。

普通というか、多数派ってこわい。

私はこの本を読んで本当に良かったと思います。

なぜなら全てにおいて未熟で浅はかな私はどんなに簡単に何人もの人を普通とか、みんなとか言いながら傷付けてきたことでしょう…。

苦しいことにそれを気付かされた一冊です。

この本によく出てくる文章が響く。

「他人からは些細なこと、とか我慢が足りないという言葉で簡単に片付けられる」や「簡単にわかるよ、とか、もっと大変な人もいるよ、と言われてしまう絶望感は、経験した人にしかわからないかもしれない」

人がやすやすとクリアしてしまう問題こそ、クリアできない時の絶望は凄まじい。

私は子どものオムツ外しやおねしょがもう絶望でした。

しかしもう人に相談できない程苦しかったです。

でも逆に誰かをこんな風に私も何度も苦しめたかもしれないとこんなにも気持ちが重くなりました。

人の話はよく聞いてきたつもりですがちゃんと向き合ってきたのかな?

私はやはり経験しないと何もわからないろくでなしです。

人を発言で傷付けたくないと強く思いました。

当たり前や普通ってない。

そしてこちらの本にも、主人公は母に育てられた幼少を理由に子どもを生みたいとなかなか思えなくなっています。

私もそんな子育てしているかもしれない。

今はそうでなくても幼少がそうだったかもしれない。

育児は未知で夢や希望もあるけど、上手く行かなくて絶望したり泣いたり苦しんだりもがいたり見栄張ったり喜怒哀楽と躁鬱でいっぱいです。

誰かの人生に私が影響を与えるなんてこわい。

きびしい。

そんな風に言わないでよ!

そんなばかな私です。

母親としてブログかいているのに、何てこというんだろう。

子どもは勝手に育つんじゃないの?

そんな立派でいられてないよ。

 

そんな今朝の空にばつ印ついていた…


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そしてオミクロン株で凄まじくコロナが広がって、ミニバス県大会中止に。


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悩ましい1月です。

 

まとまりつかない文章を最後まで読んでくれてありがとうございます。

いつものことですが(汗)