おはようございます。
昨日の夜、寝る前の儀式というかあるんですよ。
最近はまたお酒を休んでいますから、酒を飲んで寝るときは儀式も何もないのですが。
それは寝る前にベッドの脇にテレビがあるのですが、NHKか教育テレビ、つまりチャンネル1か2をみて寝るのです。
その理由は落ち着くから。
クラシックのオーケストラをやっていたり、歴史の謎をたんたんとはなしていたり、私の好きな心が整う料理番組を飾り気なしにやっていたり、教育の今を取り上げていたり、他の賑やかな番組と少し雰囲気が違うのが眠りにつくのに心地よいから。
それに受信料払っていますから、みないと、ね。
そしたら昨日、この人を紹介されていました。
詩人、茨木のり子さんです。
時代が変わっても若い人が今、この人の詩をみて、心が動かされたり響いたりしているようです。
私もチラッとみただけでも心が掴まれました。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
昨日のテレビではこの部分しかやっていなくて、それでもこの短い文面が私の心を締め付けました。
私は流されやすいと嘆きながらいつも何かのせいにして大事な自分の感受性をほっぽらかしていたんじゃない?
いつも思うのはこのタイミングでこれに出逢えた奇跡をちゃんと受け止めて自分のものにしていこうってこと。
ちゃんと変われるきっかけはあっても、自分が受け入れなかったり気付かなかったり、気付きたくなかったり。
ひとのせいにはするな
友人のせいにはするな
近親のせいにするな
暮らしのせいにはするな
時代のせいにはするな
してたーなにもかもしてたー。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
やさしい最後の言葉。
励ましやエールに思える。
茨木さんは、戦争時代に死ぬことが正しいと言われた時代に子どもながらにおかしいと感じ、死ぬことが正しいなら、生まれてこないことがもっと正しいの?と疑問に思っています。
人に何が正しくて間違いかを言われて刷り込まれても、自分が自分で間違いかどうか判断して思って生きていかないと本当に間違っていたときに後悔すると。
自分で守れ
ばかものよ
はい!
こちらも検索していて響きました。
倚りかかりたくはない
知らずにそういうじふんでした。
なにかこの言葉で道がひらける気がしました。
権威って怖くて苦手で自分を見失います。
切ないくらい、わたしも、
じぶんの耳目、じぶんの二本の足のみで立っていて、なに不都合なことやある、
でした。
そして最後にホッとする言葉が。
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
ですよね。
前に東京オリンピックで、菅総理が背もたれに背を預けてただけで避難されてて、可哀想でした。
その時ネットニュースでそれをみて、「もう背もたれなくすしかないな!椅子の背もたれってそういう意味なんだから背を預けたっていいじゃん!」と家族にいった。
そんな夏の出来事を思い出しました。
昨日番組でこの詩たちに出逢えてよかった。
さて今月メインは山羊座ですね。
山羊座の知り合いは、前にお世話になっていた社長です。
山羊座の人は仕事熱心です。
仕事が好きでがんばります。
がんばりすぎてしまうくらい。
面倒みがよくて、困っている人がいたり、頼られたりすると断れなくてがんばってしまいます。
よくもわるくもがんばり屋さんです。
休んだり手を抜くことも必要と教えてあげたくなります。
ですが良さとその逆は同じで手を抜けるくらいならその良さはないのかもしれないですね。
頑固さがまた自分の芯を強くしているところがあります。
当たってなくてもご愛敬でお願いします。
今日も読んでくれてありがとうございます。