今日観に行きました。
よかったです。
みるきっかけになったのはテレビでこの映画に携わった人、監督なのか脚本の人か誰かはしっかりみなかったのでわからないのですが、その方がインタビューで言っていたことが気になって、とにかくみてみたくなったのです。
「以前に運転していて、大きなトラックが前にいて信号が青になっても暫く動かなくてクラクションを鳴らしたんですが実は全く見えていなかったのですが車椅子の人が横断歩道を渡っていてそれを待っていてトラックが動かなかったんですよね、そういうわかんないってだけで実は何かあるっていうのが表現できればっていうかね」
みて感じたのはまさにそういうことでした。
自分も子育て真っ最中の母親で、この映画では色々胸が締め付けられる場面が出てきます。
映画はふと観に行くことを決めたので旦那と観に行きました。
なので話しは別ですがビールをのめました。
それでビールはトイレが近くなるのですが中弛みできない展開で相当後半はトイレを我慢しました。
現代の様々な問題が詰め込まれている映画でした。
子どもの世界の葛藤や我慢や解決できない、親に言えない、誤解される、わかって貰えない、どう言えばいいかわからないこと。
大人の世界の世間の目や噂話、こうしなければならない、こうあるべき、守りたいものがうまく守れない、伝えたいことを伝えられない、権力に逆らえない。
一つうまく行かないことがどんどんうまく行かないことが増えてしまってなんでこうなるんだろうなぁという感じは誰もが感じたことあると思います。
それは母親としてもそうだし、仕事をしていてもそうで、子どもの頃小学校に通っていた頃もそうだったと共感しました。
母親がみている我が子は本当の姿なのだろうか。
いそがしすぎて聞き逃してしまった大事な言葉があったかもしれない。
今の状況が母親という立場だからその目線が一番近いですが、この題名の怪物はいろんな怪物がいるなぁと思いました。
例えば私が小学校の頃は今よりずっと親は先生を頼って讃えていた気がします。
こんなこと先生がいうなんてと疑問に感じる選択肢もなかった気がします。
私は音楽と体育が大嫌いでした。
それは嫌いが大嫌いになったのは先生のせいだったかもしれないと今は思います。
何気ない言葉に子どもは傷付くのです。
小学生の時、学芸会で合奏があってもちろん何の楽器もやりたくないのですがやらなければなりません。
音楽の授業でいつもできない私は小太鼓になりました。
それがドレミがなくてもリズム感はもっとなくてみんなの前で注意されました。
ウケを狙って軽く言ったかもしれないのですが「リズムがずれてるの、ジャズじゃないんだから全部ンタンだとおかしいだろう」
泣き出してしまいました。
そのあとがもっとダメでした。
でんでん太鼓みたいなのを渡されて「どこで叩いてもいいから」
それは親にはもちろん言えなかったし、自分でもいいんだかわるいんだかわからなくなってしまっていました。
ただ、合奏というみんなでやるもので周りに迷惑をかけないのではホッとしました。
大人の対応は時として救おうと思ってやることや軽い言葉が子どもを突き刺すことがあります。
それはもう大人の気持ちと子どもの気持ちが違うから仕方ないかもしれません。
社会人になり、事務の仕事をしていた時も誤解されたことありました。
上司のミスを自分のせいにされて悔しくて相談したら「それで謝って貰えば気が済む?大したことじゃないから我慢した方が人間関係うまくいくから」と言われて呑み込みました。
仕事でも権力に逆らえないのです。
おかしな状況になったら、どうしてあの時ちゃんと言わなかったの?というくせに、小さいうちは誰もが揉み消すことに必死なのです。
怪物をみて本当にこれからのこと、今のこと、前のこと考えたり、思い出したりしました。
そういう映画はなかなかないのでみてよかったです。
夫婦でみれたのもよかったかもしれません。
他にも夫婦でみてた人いて、終わった後「怪物ってさ~」と話していました。
ビールではく付いて、ランチにも。
明日はまだ日曜だから嬉しいです。
読んでくれてありがとうございます。