あいのかたち。

みなさんはどうお過ごしでしょうか。

年が明けて落ち着くかなと思いきや全く落ち着きません。

情緒不安定は続きます。

もしかしたら情緒不安定は生きている証ではないか、と最近は感じます。

そんな私はシャンシャンとのお別れを悲しむ人の涙をみて泣けてきました。

動物とはなんと無邪気なのでしょう。

シャンシャンのあどけない幼い頃の映像も胸が締め付けられます。

何を考えているか口にはしない動物は私たちを時に勇気づけ、時に慰め癒してくれて、その別れは胸が引き裂かれそうであったりします。

シャンシャンがいってしまう…みんなさみしくて泣いてしまう…。

なので私はシャンシャンは中国に行きたいかも?!、ワクワクしているかも?!、なんて強がって家族に言ってみたりもしました。


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情緒不安定な私だけに話がコロコロ変わります。

back numberの歌はメロディーも歌詞も何だか切なくてステキです。

何気なく聞いていたけど、こんな歌詞がありました。

「あおいまま枯れてゆく 貴方を好きなままで消えていく 私みたいと手にとって」

なんとどうやったらこんな歌詞思い付くのだろう。

感動しますね。

蕾のまま命を落とす花のように。

そんな切ないことありますよね。

この歌は、ハッピーエンドという曲だったと思います。

こんなおばさんな私も若い頃はあり、お金の大切さや親のありがたみなど欠片も感じずひたすら恋に悩んだ時もあったなぁと。

明日はどんな顔してあなたと会えばいいんだろう。

もう明日なんて来ないで欲しい。

そんな時があった自分が今の自分だと思えませんね。

 

こんな歌詞もあります。

「嬉しいことがあったときに誰かに言いたくなるのは自分よりも喜んでくれる人に育てて貰ったからなんだろうな」

back numberの手紙の曲はじめです。

これは子育てを振り返ってしまいます。

まだまだ落ち着くわけもない子育てなのですが、たくさんの後悔と反省、それでもそうしかやれなかったろうと思う自分です。

どうか愛していない訳がないと気づいて欲しいです。

好きで大事で、でもうまくいかない、間違いだらけ、そんな新米母でしたね。

もちろん今もうまくいっているわけではありませんが。

私は自分の母にとても愛情深く育てて貰ったように思います。

時代のせいもあり、姑とうまく行かなく別居して、でも祖父が亡くなり長男の嫁ということでまた同居して、そんな母が初孫になる、娘を生んだ私に「可愛くてさみしくなくなるよ。セロリが生まれたら母さん全然さみしくなくなったから」

そんな風に言われて娘として嬉しかったのになんとうまくやれない私だろう。

 

 

以前から言っていますが二児の母です。

母が慰めたり元気付けたりできなくなってから旦那が私にそれをしてくれます。

旦那は情緒不安定な私をわかってくれています。

よく旦那と子どもをさておき出掛けたりしますが、酒につられていたりします。

私の旦那はお酒が嫌いだし飲みません。

何なら酔っ払いも嫌いです。

それは私のことだろうか、と思う時もあります。

何でも紙一重です。

それで、話は戻り、私がどこへ行っても旦那と出掛けたら呑めるわけです。

そう!素晴らしいことにランチから。

何なら朝から。

なので自分がダメにならないように気を付けながら生きています。

以前は母がよく私に度を越すなと言って戒めてくれていました。

その言葉がどれだけ有り難かったか、何でもなくなって大切さを思い知るわけです。

育児がうまく行かない私はよく自分の思い通りにならないと怒鳴っていました。

気が狂っていたのかな?と思う程です。

母としての私は時として動物のようであります。

理性が効かないのです。

先日読んでいたこちらの小説では意味のわからない過激な父親が息子に言う言葉が印象的でした。


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父さんを見習わなくていい。お前の考えで生きていけばいい。

父さんは…。…ようするに馬鹿なんだ。

自分の曲げたくないことは貫き通す、そう生きてきた父親が自分を馬鹿という。

胸を熱くする言葉です。

 

そして今、夫のちんぽが入らないを描いたこだまさんのエッセイを読んでいます。

最初から胸を貫く内容にはっとします。

自分の母親を描いています。



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仕事と育児と家事におわれ、心が壊れてしまった。

私も育児では自分を抑えられなくて、旦那に「酒を飲んだら怒るんじゃない!」と言われました。

酒に逃げていました。

娘は僅かに記憶にあるのか、「母さんおかしいくらい恐かったよね」と言われたことがあります。

旦那に子どもを叱ると怒られるので旦那の居ないところで怒るようになり、それも自分でもどうすることも出来なかったりして、当時は馬鹿の迷宮入りのようなものでした。


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そして私も子どもが病気や怪我をするとパニックになる母親でした。

自分の心に1ミリも余裕のない母親でした。

 

娘をしっかりさせないといけないと何かに追い立てられているような強迫観念に囚われていました。

それでもありとあらゆる困難はくるわけです。

それはある意味、誰でもそうでしょう。

例えば子どもが難病の人もいれば、障害が生まれた時からある子どももいるわけです。

私はそういうことはなかったにも関わらずとちくるった状況によくなってしまって。

娘の夜尿症では悩みました。

息子が生まれた時に、黄疸が出て一緒に退院できなかった時もマタニティブルーが酷くダメでした。

振り返れば恥ずかしいことばかり。

怒ったり怒鳴ったりして、それでもバック作ったり、勉強教えたり、一緒に工作したり、散歩にいったり、それを繰り返していましたね。

こだまさんのエッセイをみると、娘目線で書かれていますので、冷静でわかりやすいです。

うちの娘もまたそんな風に考えたり思ったりする日がくるのかな?

それとも諦めて離れていくかな?

終わったことはやり直せないので、これからどうするかでしょうが、それもまたやれているのか繰り返しているのかよくわかりません。

 

息子のバスケットボールでも悩みは尽きません。

悔しくてがんばって。

がんばっても悔しくて。

そのうち悔しさに慣れてしまうかもしれない。

アドバイスしては失敗した気になって、もう言うのはやめようと思ってもまた言ってしまったり。

言ってもいいじゃないかと開き直ったり。

落ち込んだり。

 

やっぱり生きているうち悩み続けるんだろうな。

でもあいがあるのはまちがいないんだけど、へんなかたちになってしまって、…。

読み直すと投稿したくなくなりそうだから、もうそのまま。

(笑)

 

明日は苦手な仕事になってしまって、寝るべきなのに、何やっているのか。

 

夜はへんなかたちにより一層なる気がする。

 

酒はのんでません。

明日の仕事が心配で。

 

読んでくださってありがとうございます。

聞き流してくださいね。