今まだ読んでいる途中なのですが、とても切なく苦しく当時を振り返ってしまいます。
こちらを半分程読みました。
内容は、二歳の女の子を育てる母親が、刑事裁判の補充裁判員になって、子供を殺した母親をめぐる証言にふれるうち、彼女の境遇と自らを重ねていく。
裁判員では、子供を殺した母親はうつむいてばかりで何も発言しなくて、その旦那やその旦那の母親が証言する。
その証言はまともにもきこえるけど、母親を追い詰めたかもしれないと主人公は感じる。
二歳の娘を旦那の実家に預けて裁判員をして日々何かに追われるように余裕がなくなっていく。
娘は実家で外食やおもちゃをたくさん与えられ、お菓子やアイスも食べさせて貰ってわがままになっていく。
愚図って参って、少し置いてきぼりにしては泣いてついてくるだろうと試したら、ちょうど旦那の帰宅と鉢合わせして、酷く軽蔑されたような扱いになる。
その辺まで読んだところです。
実は子どもが幼い時、私も育児で悩みました。
その時、仕事で忙しい旦那はよく「正しいこと」を私にいっては苦しめられました。
頭でわかっていてもどうにもうまく行かないことばかりでした。
娘を先に生んで、三歳離れて息子を生みました。
いろいろうまく行かない中で、孫の心配をしてどっちの親からも電話がきたりします。
それも孫に何かあったら母親のせいだと言われているように感じたことも多かったです。
自分の母には遠慮なく言えても、旦那の母にはそうもいきません。
旦那は聞き流してといっても聞き流せない、いちいち刺さるのはやはりマタニティーブルーだったと思います。
いい方に持っていけない、持っていく元気がなく、自信がないのです。
自分の実家の方にはない風習で、旦那の実家の方の風習で娘が生まれたら羽子板、息子が生まれたら破魔矢を贈るというのがあるみたいで、三歳離して生まれた息子の時にその破魔矢が贈られてきた時、驚きと共に、納得行かない気持ちで一杯になりました。
三歳になりそうになってた娘が、無邪気に「カッコいいね!じじとばば贈ってくれたの?」と言って旦那は仕事でいなくて、涙が込み上げました。
娘が生まれた時は贈られてなかったからです。
だから平等に何も送ってくれなくていいのにって思いました。
娘が昼寝をしている時、自分の母に電話で正直な気持ちを打ち明けました。
母は、「何もそんなにならなくても、くれるものは喜んで貰ってありがとうでいいじゃない。平等とかなんとか面倒だよ、あんたは」と、笑って慰めてくれました。
そうならないのがマタニティーブルーだと今は思います。
冷静でいられない。
娘がお礼の電話をかけると言って、「じじとばば、カッコいいの贈ってくれてありがとう」と。
そしたら、本当にうっかり孫娘のを贈り忘れてしまってた、と一週間もたたないうちに羽子板も贈られてきました。
この本を読んでこんなこともあった、あんなこともあったと、苦すぎて思い出したくもない、親らしくない言動の数々を思い出したうちの一つです。
学びは続いています。
今も育児はうまく行くことはなく、頭傾げながら模索しながらです。
そんな今日の新聞です。
朝から北朝鮮がミサイルをうちました。
いつも故郷の秋田の海からのところに落ちます。
あーやだやだ。
そんな今朝の新聞の言葉が響きます。
侵略を恐れるよりももっと私は戦争を恐れる。
講和を望むよりももっと私は平和を望む。
われわれの為すべきことは戦争に備えることではなくして戦争を防ぐことである。
もしかしたらきれい事かもしれませんが私は戦争が嫌だし平和がいい。
旦那が育児で言ってきた、「正しいこと」はそれに似ているかもしれません。
そうできたらいい。
そんな感じ。
でも、戦争に備えたらいつでもそういうことになるかもという不安でいっぱいです。
人類は今までそういうことで尊い命を犠牲にしてその爆弾やミサイルや原発や地雷や生物兵器の怖さを知っているのに、今もなおその後遺症や恐怖に悩んでいる人もいるのに、なぜ戦争に向かってしまうのでしょう。
人の犠牲の上に成り立つ勝利ってどうなんだろうと思います。
それでも学べないから繰り返すのかもしれません。
平和になりますように。
何もかも中途半端な気持ちだけでかいたものを読んでくれてありがとうございます。