3.11で振り返る日々と今、そして卒業。

毎日のニュースでウクライナの様子が放送されて、苦しいです。


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アンドレイ坂 ウクライナ

 

これは数日前に仕事で行った販売先に、たまたまかかっていたカレンダーの世界各国の有名なところが載っている3月、4月がウクライナで、胸に深い影を落としました。

こんなにもきれいで美しい街並が次々攻撃されて黒焦げです。

一生懸命造り上げられた建築物が木っ端微塵です。

昨日は産科小児科が攻撃されて、妊婦さんが運ばれていたり、子どもが泣き叫んで大人が抱き締めていたりして、言葉もありません。

何が原因でこうなっているかわからなくても、ただそこに住んでいたというだけで被害を受ける。

しかもそれは自然災害ではなく人が故意にやって起こっていることという事実が苦しみ以外の何ものでもない。

この映像を攻撃するボタンを押した人、命令で攻撃している人、プーチンさんは、…みて何も思わないのでしょうか。

みる機会を奪っているのでしょうか。

みないと想像できないのでしょうか。

そんなにも思い遣りが欠如しているのでしょうか。

もしも自分の家族が、そんな理不尽な攻撃の犠牲になり、泣き叫び苦しみ悶え守られるべき住まいを一瞬で失っても…怒ってはいけませんね。

人にいわれたからってそんな酷いこと簡単にやっていいわけがありません。

言葉や知能を持ち合わせた人が、黙ってそんなことをしてはいけない。

そんなことを話し合いもろくにしないで指示する人をトップに選んではいけません。

現状はお互いの言い分はあっても人の命を奪う行為は人としてやってはならない。

そんな大事なことは誰もがわかっていることです。

 

平和の象徴のオリンピックがこんな苦しい状況のコロナ禍で行われて、今もパラリンピックが行われています。

ロシアでもウクライナでも出るために一生をかけて取り組んでいた選手はいたでしょう。

台無しです。

 

実は今日、娘の中学校の卒業式でした。


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11年前の3月11日は、

娘の幼稚園の入園の準備にいそがしくしている年度末のあたたかくなり始めた時でした。

その大きな揺れは突然、訪れました。

東日本大震災

この世の中が終わったと思いました。

茨城県でマンションにいました。

ひどい揺れが長く続いて、私は金魚の水槽が落ちないようにおさえにいったら泣き叫びながら娘と息子が私の足に絡んできました。

水槽から水が溢れて、揺れの後半でその当時はまだまだ高かった薄いテレビが転げ落ちてテレビ台に画面がぶつかり穴があきました。

実は3月入ってすぐに狭くなったアパートからマンションへ引っ越したばかりでした。

引っ越しの時に運送屋さんに「この中で一番高価なものは?」と保険の都合で聞かれて、「テレビですね」と答えて十日も立っていなくて、家で一番高価なものを失いました。

マンションでまだ知り合いは居なくて、東京へ仕事関係の試験を受けに行っていた旦那はその日は帰ってこられませんでした。

停電、ガスも使えなくなって、水もそのうちでなくなりました。

…不安しかなかった。

ご飯炊けなくて、リンゴを3人で食べて寝ました。

何日もお風呂に入らなかった。

ガソリンスタンドへ並ぶ長蛇の列。

割り込んだ、どうたらで喧嘩してたりしたのをみました。

仕事しないと生きていけない訳ですから、仕事場へ行くためにみんなガソリンを求めました。

そのうち原発

被爆被害の心配とその風評被害

旦那の実家は福島県です。

スーパーでも品物が取り合いで売り切れたり、物資の物流がうまく行かず、秋田の方でもスーパーはがらがらになっていると言っていました。

テレビでは津波で家族や住まいを失った人の悲しみが溢れていました。

インタビューで辛かったのは、「一緒に死にたかった。一人で生きていたくない」といっていた人。

分散停電などもやっていて、電気をだいぶ節約しました。

気持ちが暗いのに家のなかも暗く、街も暗い。

行事も見通しが立たなくて。

 

その時も日本の、世界のいろんな人たちが寄付だったり支援物資だったり、たくさん助けてくれました。

こんなにも酷いことはもう生きててないだろうと思った程です。

なのに、コロナウイルスで世界中でパンデミック

楽しみにいていた学校行事は未だに回復していません。

大学生になった人たちはキャンパスライフとよべる陽気な楽しさは味わえていないのでしょうか。

嘆いてばかりで生きていくわけにはいきません。

誰もがそれなりに飲み込んで馴染んで我慢して生きているなか、

ウクライナへの攻撃が始まりました。

 

梅が綺麗に咲いてます。


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そのうち桜。

桜吹雪に菜の花の黄色もみえて4月からは新学年新入生。

 

今日の卒業式で、ゆずの友、旅立ちの時に を歌いました。


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明日の行方なんて誰にもわからないさ

 

さようなら そしてありがとう

 

卒業はありきたりな言葉ばかりかもしれない。

単純でわかりやすい。

何でも終わりはきて、さようならはある。

経験が積み重なって今に辿り着いている。

いいことばかりでないし、いやなこと、辛かったこと、我慢もある。

だけどみんなと一緒にいました。

コロナ禍も。

旅立ちがんばってね。

 

少し前のブログに、タイミングが奇跡~でかきましたが茨木のりこさんの詩が響きます。

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

建物が破壊されて命が奪われて怪我して。

いろんな理由言っても、

それやっていいことではないです。

 

命の尊さと向き合う今日、

娘の卒業式で娘の成長に感動しました。

 

平和でありますように。

平和の道がひらけますように。

 


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