追悼

お久しぶりです。

はじまる前はどうすればいいかわからない不安と心配に苛まれた長い夏休みが終わり、子どもたちの学校が始まりました。

この長い夏休みにブログに描きたい数々のことがあったにも関わらずなかなか気持ちが整理できなく今に至ります。

その数々の中で一番印象的だったことが、友人の追悼です。

長いコロナ禍が落ち着いて当時の様子を取り戻すなか、コロナ禍一年目頃に、くも膜下出血でなくなった友人の仏壇に手を合わせにいきました。

時は早く三回忌も過ぎて、何度か帰省はしていてもコロナ禍で手を合わせに行けなかった月日の長さに甘え、追悼を先にのばして悲しみに浸るのを避けていたかもしれません。

その悲しみがダムの放流の如くなってしまって、涙がとまらなかったです。

 

保育園、小学校、中学校と一緒で仲良くして高校は別でも学校が秋田駅に向かう上り列車が一緒なので一緒に男鹿線で通いました。

宮城県の短大に通う時は、その友人は宮城県の専門学校で、故郷を懐かしみながらたまに泊まりに来てくれたり遊んだりしました。

秋田に戻ればいつもの仲間と呑んだり、コテージに泊まったり、花火大会に行ったり、…思い出す限り楽しいことばかりでした。

里帰り出産で二度長く帰った時も何度も遊びに来てくれました。

今も考えるだけで涙がこみ上げます。

今年の夏にようやく仏壇を拝ませていただいてその友人の遺影に現実を突き付けられました。

素敵な写真です。

とても笑顔でまだまだ若くて。

お母さんが引き留めてくださってお話をいっぱいしました。

聞けば聞く程もったいない、いい人で、早い旅立ちが惜しまれます。

 

「友だちが好きでなぁ、遺影の写真探す時も友だちと笑ってる写真ばっかりでなぁ、…こういうとあれなんだけど友だちを一回もわるくいったごど無くて、本当に友だちが大好きだったと思うんだ」

「ゆめにでも出てきて欲しくて、でも最近は出てきてくれなくてなぁ」

「家のこと何でもやってくれて、昨年亡くなったおばあさんの施設にもよく私の代わりに行ってくれて別に頼まなくても見様見真似で入れ歯まで洗ってあげててね」

「一緒に呑むはずだった正月のビール、未だに手をつけられなくてそのままにしてしまって」

「病院の先生がいいこと言わなくなってからはイヤホンで大好きなゆずの曲聴かせてあげてたんだ、今も車に乗ればゆずかかってあの頃と同じだ」

「はやぐしろって急かして育ててきたきがする、もっと抱きしめたり、手つないだり優しくしたがった、セロリさんも子どもいっぱい抱きしめてやって、あっという間に大きくなるよ」

 

いっぱいいっぱい話しました。

私も話したけど、お母さんの言葉を描きました。

その友人は、とても心配症で、確認する癖があってどこかに遊びに行っても必ず最後に忘れ物がないかみんなの座席を確認して最後に出る人でした。

キレイ好きで人が出したゴミを片付けたりします。

私のゆめに出てきたとき、

いつものようにおしりのホコリを払う仕草をして、みんなの忘れ物を確認して最後に私に、「先にいぐね」

 

笑顔でした。

 

色んな意味でコロナは人をおとしめました。

彼女がなくなったのは1月半ばです。

お母さんに聞いたら、クリスマスの前日頭が痛いと言っていて、近所の町医者に行きました。

コロナ禍真っ最中で、電話診察でお願いしますと言われて、電話で症状を伝えると風邪薬を処方されました。

その薬を一回飲んで、家族に迷惑かけないようにしていたんでないかな。

「頭痛いの少し落ち着いてきたかも」

そういっていたのにクリスマスの夜、トイレで倒れてしまいました。

救急車で大きな病院にいって、持ち直すと思われていたのに、容態は年を越してからわるくなりなくなりました。

クリスマスや正月の買い物をお母さんとしていて、お酒はまとめて買ったようです。

そのお正月のお酒は未だにお母さんが手がつけられない。

色んな後悔があるようです。

でも彼女はお母さんに笑っていて欲しいと思っていると思います。

そう勝手ながら話しました。

彼女はとても綺麗な人ですが結婚はしていません。

弟家族が同居していて双子が生まれて弟のお嫁さんを手伝ったりしていました。

前から面倒見が良くて私の子どもが生まれた時も抱っこしたりしてくれました。

お母さんもお父さんも彼女のことが辛くて寂しくて、でもがんばって暮らしています。

私との彼女の最後のやりとりはショートメールでした。

いつも県外にいる私に誕生日メールを送ってくれるのです。

内容は

「また秋田に来たら遊ぼうね。コロナやインフルエンザに気をつけてね。誕生日おめでとう。」

彼女のお母さんにみせました。

泣き崩れてしまいました。

いつも自分のことより人の心配や人の世話の貴方でした。

綺麗なのに何も着飾らない人でした。

お母さんはなくなってから親戚の人に頼んでネットでキレイなワンピースを買ってそれを着せて見送ったそうです。

なんと似合ったことでしょう。

 

彼女に会えたので四年ぶりに追悼しながら友人に会いました。

 

みんな色んな苦労や悩みを抱えながらがんばっていました。


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きっと彼女も来てたと思います。

 

最後はやはりビールの呑み比べでぎゃんぎゃん騒ぎました。

いつまでも友だちはあたたかいなぁ。

 

読んでくれてありがとうございます。