生き甲斐とは。

日々が過ぎるのが遅いようではやい。

ゴールデンウィークからもうこんなにたって、五月も末です。

夏みたいに暑かったり、冬みたいに寒かったり、梅雨みたいに雨が続いたり、五月ってこんなにいそがしかったかしらと思っています。

私は短い夏がもう始まるのかという予感がもう終わりを思って寂しくなったりしてしまいます。

更年期なのかしら。

いろんな不安を感じながらも毎日をやり過ごしています。

 

嬉しいような困ったことがありました。

母の日が近くなり少しばかり荷物を実家に送った時に父が電話で、「母さんの実家に顔出したら子猫が生まれてて一匹貰ってきた」

えー!!!

育てられるの?世話できる?

色んな心配や不安を言ったんだけど、大丈夫、大丈夫と。

私は小さい頃、猫が大好きで猫がいない生活は考えられなくて反対されても拾ってきて飼って、それで父はよくそんな私を叱ったりしたものです。

そんな父が猫を貰ってきたのです。

母は一人娘の私のために猫の世話をとてもよくしてくれていつの間にか私より猫が好きになるし、猫も母を一番好きになるという感じです。

しかし母はコロナ禍になってすぐ脳梗塞で手術してから家事ができなくなって言葉に表すのが困難になってしまいました。

家事を父がやっているなかで猫も飼うというのは大丈夫なのだろうかと思ったのです。

父は電話で、「母さんも猫の面倒みてる」というのです。

あまりに気になって父も私もスマホが得意でないのですが、お互いの家の電話でスマホのビデオ電話を時間かかりながらやることができて、ブレブレだけど猫を見せて貰いました。

可愛い白の子猫でした。

父はシャム猫と言われたといっていました。

ちゃんとゲージも用意してトイレ等も買い物してきたようでした。

何より誰より母が喜んでいました。

何も何も何もわかんね!

そればかりしか電話で言わないのですが、そう、「!」がつくはしゃぎ声でした。

誰よりも若い小さい命に年寄りが救われる気がしました。

田植えに手伝いに行った父の兄弟が母さんの様子や田んぼ今年も始められたという電話が来たとき、猫もいてお母さんも元気だったよと言われました。

本人たちの強がりではなく本当に小さいねこちゃんが父さんと母さんを支えてると感動しています。

生き甲斐は色んな意味で誰かの何かのためにがんばれることなのかもしれないと思いました。

求められることも支えられることもあたたかさや癒しもありますが、自分が大事なことをがんばれることが嬉しいのだと思います。

犬だって猫だって自分が相手を喜ばせているのはわかります。

あぁ、娘というだけで何の助けもしていない自分さえもその子猫ちゃんに助けられて救われている気がします。

後日、猫の名前をきくと、「トラ」

そう、それは私が飼っていた猫の名前です。

もちろんとらねこです。

シャム猫に「トラ」

なんともいえない父と母です。

 

酒ばかり飲んで現実逃避している。

毎日を過ごすことに精一杯。

 


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大好きな山岡家のラーメンを食べに行きました。

 


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くら寿司も食べに行きました。

なんと、チャンジャがありました。

 


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うまいもの市でお酒いただきました。

夜の出店が久しぶりで懐かしくて楽しかったです。

 


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母の日に娘と息子がくれました。

申し訳ないです。

そんなのあると思わないから外食希望して行ったのに。

 

今は何が生き甲斐かわからない私も失った時わかるかもしれません。

 

最期まで読んでくれてありがとうございます。

 

女の三人の素敵さ!

皆さんゴールデンウィーク楽しんでいますか?

私は休みではありますが変わりない日々です。

コロナ禍が収まりつつあり、子どもたちの部活や遠征に合わせて日常を過ごす日々になっております。

インドアな私には平和で心地好いかもしれません。

 

さて、そんなゴールデンウィークに溜め録りしていたドラマをみてます。

こちらのドラマをみて、懐かしさや原点を見出だした気になって取り急ぎ投稿してしまいました。


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日曜の夜ぐらいは…

というドラマです。

日常をやりきれない気持ちで過ごしている人たちがラジオのリスナーというだけで出逢い一泊二日の旅行を日常を離れて楽しむ第一回目の内容でした。

女性って本当に面倒くさい生き物で、思春期には奇数のメンバーがマジでキツかったりします。

私もそういう時期にそういうことに悩んで周りのこころ優しいこころ広い人に助けられながら乗り越えた一人です。

そして我が娘もまた三人という数に悩まされた小学生、中学生時代でした。

三人だと二人と一人になりがちなのです。

にんきのある一人を取り合うようになるような雰囲気が幼少ほど漂います。

それも無意識に。

女の世界は昔からひどく大変です。

鈍感な私でもそう思います。

 

しかしそういう私は三人が何気に大好きです。

そういう腐ったことを乗り越えれたような素晴らしさが誇らしくて三人で仲良くすることが昔から大好きです。

はじめは小学生の時でした。

周りはうまくいっているか疑問でしたが私はうまくやれているつもりでした。

それは初めての三人でした。

うまく行っているように思いたいだけの三人組だった気もします。

次は中学生、そこは五人組でした。

五人組も中味は三人と二人に常に分かれる感じです。

でも修学旅行も楽しめました。

奇数を乗り越えるには気遣いや真心が必要なのです。

それは一人だけではなく皆がです。

そんなことは驚くけど、みんな優しいというもとでしか成り立たないのです。

それが今になって気付くトリックで当時が無意識でそうだということに感動してしまいます。

高校生になれば馬鹿みたいに奇数で仲間はずれとかはなかったです。

それなりにみんな乗り越えてきているのです。

 

この前にママ友で知り合っても、本当に友だちになっていると私は思っている三人でランチした時、本当に楽しかったです。

ファミリーレストランだったのですが、ドリンクバーがあって、長居するお客さんが多くて、その中に八十代の女性三人がおしゃれしてランチしていて、私たち三人の将来の理想だねと話しました。

本当に楽しそうで理想的でした。

仕事でも愚痴ったり支えあったり励まし合ったりしている仲間は三人です。

話しやすいけど互いを尊敬しあったりもしています。

ダメなことも言えるけどいいことを認められてアドバイスも素直に受け入れられます。

何て言うか三人って微妙で危うくて、だからお互いに支え合うようなお互いの大切さが気持ちがある感じがするのです。

 

それがこのドラマで何となく感じられて、色々思い出せて何だか急に話してしまいました。

 

 

聞いてくれてありがとうございます。

皆さん楽しい連休を!

親のありがたみ、時代の色。

なかなか言いたいことが上手く表現できなくてもどかしいです。

しかしふと思い付いたり考えたことを伝えたくなってしまうのです。

それは私だけだろうか?と思う気持ちがあるからかもしれません。

色々あってますます自分がいびつになってしまった気がします。

物事は常に表と裏があるように、わかって欲しいのにわかるわけないと思ったり、言いたいのに言ってどうするの?と思ったり、自分が傷付くかもってやる前から怖じ気づいてる、そんな自分を胡散臭いと思ったりします。

そんな時はこのブログや人にとってはInstagramTwitterは心の拠り所になる気がします。

それはそんな時代だと思うのです。

顔や性別や歳などわからなくても慰められたり助けられたり癒されたり。

それは知らない相手だから尚更よかったりもするのでしょう。

先入観や価値観、相手のことなど全く理解できるなんてことはあり得ません。

話を聞いて欲しかっただけなのに説教されたり叱られたりしたら苦しくなります。

他人に認められたり癒されたり、他人の言葉が響くのはその人の生き様がしっかりみえていないから冷静に受け入れられることもあります。

近い存在の人は余計なものが邪魔をして響くものが響かなかったりするのです。

正しいことを言ってくれても、「正しいことを言ってばかり」と思ってしまったり自分の心が拒絶することもあります。

時代のお陰でこんな居場所や出逢いがあります。

 

以前、私の母が突然「仕事やめる!今日頭にきて何もかも言ってやったんだ!」という時がありました。

誰でも自分の視点で話すから事実かどうかはわかりませんが、母が言うには仕事場で汚ないいやな仕事は自分にばかりやらせる、それが嫌な訳ではない、だけど楽な仕事をしている人に上の人は優しくて、その人は何もかも要領が良くていつも怠けているのにその人の前では自分ばかり大変ですみたいにいつも言ってて、その上の人がうちの母をものすごく怒った日だったようです。

嘘をつくような人でもなく、トイレ掃除やごみ捨てや排水溝の掃除等、母だったら率先してやると私からみても思います。

いつも元気で怒られても大きな声で「はい!すみません!次から気を付けます」といつも言って「また怒られちゃった!」と舌を出して同僚に笑うような性格です。

あんな明るい母からどうしてこんな陰気臭い娘が生まれるのだろうと思ったこともあります。

頭を使うより身体を動かす方が好きで重いものを持ったり運んだりも元気で農作業のアルバイトもよくしていました。

働くのが趣味でお金を貯めるのが好きでそのお金を私や孫にあげるのを生き甲斐にしていた人です。

その母が「仕事をやめる!」

それはなんか、とても寂しく苦しくなりました。

しかし話を聞くとそんな酷い仕事場にもう行って欲しくないと思いました。

母はどんな形でも認められている、頼られている、役に立っていると思われる程がんばっていたと思うのです。

性格が不器用な人でだけど誰よりも働き者なのは小さい頃からみていた私が一番よく知っています。

私がよく貧乏を苦にしますが、貧乏を苦にしない人です。

父の実家と別居して住んでた時、父は僅かなお金しか渡さず母は遣り繰りして、寂しがる私のために内職をがんばって、外で働かないでくれました。

外で働くようになったのは私が高校生になってからです。

遣り繰りが大変な時、キリスト教の本を買って欲しいという外人が訪ねてきたことがありました。

片言しか話せないので、日本語の文章を持ちながらきていました。

その文章には千円だったかもっとだったか私が保育園の頃でした。

母は「そんなお金は出せないけど、寄付するよ」と500円渡しました。

その外人の方は本を渡そうとして、「違う!お金そんなに渡せないから本はいいんだよ。がんばってね」と言い聞かせてパンフレットみたいなのだけ受け取りました。

貧乏だー、宝くじもあたんねぇ、罰当たらなきゃいいけどなぁ!と笑って過ごす人でした。

時代が活気があったのかもしれません。

「貧乏暇なし!」

それもよくいっていました。

そんな母が仕事を辞めたがった日はとても憂うつになったのを覚えています。

私はよく子どもの前で弱音を吐いたり泣いたり叫んだり取り乱したりして…もしかしたら驚く程子どもを傷付けてきたかもしれないと思いました。

母は結局、一晩寝て、次の日に「今日行ってみて辞めるか決める」と行きました。

そしたら今までの腹の中を爆発させた母にみんなが驚き、反省したそうです。

その後も何年間かその仕事を続けていました。

飲食店で、私も今はパン屋で工場で作る仕事もしているのでよく当時の母を思い出したりします。

母と同年代の人は二年程前に辞めてしまいましたが、60代、70代もいます。

とても尊敬する働きぶりです。

私も仕事を選ばずやろうといつも当時の母の言動を思い出し思います。

私が苦手なことはみんなも苦手かもしれない、私が嫌なことはみんなも嫌かもしれない、だけど誰かがやらないと仕事は進まない訳です。

しかし女ばかりの職場なのにみんな助けたりかばいあったりしてがんばれる人間関係です。

昨日やったから今日は別の人という気遣いができる人が多く、苦手でも私はこれは別に苦手じゃないとやれる人もいます。

それを当たり前と思わないようにと気を付けています。

感謝したり褒めたり讃えあったりしながら乗り越えたりしています。

時に叱られたり注意されることもあります。

しかしそれも自分を本当の意味で成長させてくれる為だと今は思います。

そう思えない時もありました。

しかし相手はロボットでなく人だから、言い方やその時の気持ちや感情はそれぞれなのです。

職場の人間関係もまた私は楽な時もあります。

相手を深く知らないでもサンドイッチを作るためにピザを作るためにコロッケパンを作るために協力しあうということが素晴らしいのです。

売りにいってもまたおもしろいです。

いつも同じものを買う人やおすすめを聞いてくる人、入ったばかりの時は娘が小学一年生で高校生に「おばちゃん!」と呼ばれて、えって思っていたけど今はそれが板についてマスク生活のせいもあって「お姉さん!」なんて呼ばれた日には嬉しくなったりします。

いつもそうなんですが文章が纏まりませんが、こういうことを思うきっかけになった本がこちらです。


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友達が貸してくれた本です。

五編あります。

どの話しも本当に読むのが止まらなくなる怖い話ばかりでした。

人の心に潜む闇を描いています。

1つ目は小さな嘘が重なり続け逃れられなくなってしまう営業マンの話。

2つ目は躍進する子役の孫のマネージャーをやる祖母の話。

3つ目は酷い過去が作り出した運命を作品に刻む画家の話。

4つ目は姉の逮捕に混乱する主婦の話。

5つ目はこの表紙の題名になっている話で、大好きだった祖母の納骨で明らかになる過去の苦しみを誤解していた青年の話。

 

この本を読んですぐブログを描いているので、やはり最後の話で故郷を思い出して、またそれがいろんな苦しいしがらみも優しい気遣いや支え合いも思い出し、思わず投稿しました。

 

読んでくれてありがとうございます。

 

 

切ない春が過ぎてゆく。

お久しぶりです。

実はいろいろあって、本当にショックなことがあるとブログにもかけないと思い知らされました。

毎日が重苦しかったのですが、そういえば春があまり得意でない私は毎年のように気構えることなく色んなことが桜が散るように過ぎてゆくことにながされています。

時が癒すというのはそういうことかもしれませんね。

 

当たり前のことがありがたく感じられたりするのは当たり前が壊されたときです。

私はすごく楽しいことがなくてもすごく悲しいことがなければいいと思う人です。

つまり平坦な日々を過ごして気持ちを乱されたくないのです。

そんな私を試すように鍛えるようになぜか昨年から今年はいろいろ気持ちをかき乱されます。

しかしそれは当たり前の大切さをわからない私を気付かせてくれました。

私が自分に余裕がなくなると我が子は「母さんがまたパニックになっている、しばらくはそれが続くかな」みたいに思っているのか何となくいつもよりしっかりする気がします。

旦那はいつも以上に頼りがいを発揮します。

わるいことが全てをわるくする訳ではないのです。

不思議です。

離れて住んでいる親の心配をしたり、子どもの成長にかかるお金の心配をしたり、毎日いらない心配でいっぱいだったのに、とても嫌なことは一気にそれらを吹き飛ばしました。

旦那は心配ばかりする私に言います。

「心配しても、心配しなくても何か起こった時はやるしかないし、心配したって何かが変わるわけでないから考えなくていいんだよ」

そうなんだよね。

心配ばかりしてだからといって現状維持ばかりの私は心配はいらない理屈です。

そう、心配もまた余裕があればできることでした。

憂うつな春が気付かないうちに過ぎてゆきます。

占いで、私の誕生日は「変化を嫌う」

まさに年度が変わる春がずっと苦手だったのが言い当てられたと思いました。

しかし変化は気付かないことを気付かせて、悲しみを薄れさせ、衝撃を緩和させ、運気も変えてくれます。

変化がなければ生きていけません。

 

ブログのために撮っていた写真です。


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雛祭りでした。

 


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ダチョウ王国に行きました。

子どもが小さい頃行って以来でした。

どの動物にも癒されましたが亀に餌をあげるのが一番楽しかったです。

キャベツを力強く噛みます。

娘が小さい頃とは違う動物に興味を示していて、おもしろかったです。

桜が咲き始めた頃でした。

 


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嫌なことがあると歌が響きます。

 


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花見しました。

缶ビール片手に散歩しました。

桜はきれいですね。

 

いつも読んでくれてありがとうございます。

 

 

急に思ったことを描きたくなった。

三月なりましたね。

ブログって描きたいと思った時に描かないと後から何が言いたかったんだろうと感情が薄れちゃいますよね。

だからすぐ今日は描くことにします。


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今日はパートが休みになったので朝から白髪を染めます。

別に今日やる必要はないのですが、先日息子に「母さん白髪すごいね」と言われたのが何となく心にへばりついてしまって。

その時は「子育てで苦労してるからしょうがないでしょ!」と言い返したりしたのですが。

何にも考えていないような何を考えているのかわからない息子に白髪を指摘されたのがショックだったというか。

そういえば母もこまめに染めていました。

それは私が指摘する気になる隙もないくらいでした。

今思えばしっかりしていたんだなぁとつくづく思います。

息子の何気ない言葉が響いて染めていると息子が洗面所にきたので「白髪染めるからね」というと「なんで?」

言った本人は覚えてないし興味もないわけです。

子どもは親がいくらいっても言葉が響きません。

他人に少しかすられたくらいでガツンと響いてしまうくせに。

親になったら案外子どもの言葉が響くんだなぁと驚きました。

言い返したりはしても後まで考えたりして。

立場でこうまで違う風になるのかと。

他人の言葉は響いたり響かなかったり。

「わかってはいるけどさ」なんて思って聞き流したりしてしまうことも。

不思議。

 

前から言いたかったことは、各地に方言が存在しますよね。

私は、秋田、宮城、茨城に住んだことがあります。

秋田は故郷ですから方言はそんなに方言として意識してなくて印象的なものをあげられないのですが。

宮城の時は、「いずい」これが正しいかわかりません、もしかしたら「いづい」

これは、気持ちがわるいというかしっくりこないという意味です。

友だちが言っているときわからなくて聞いたら「こんなに使い勝手のいい言葉が辞書に載ってないなんて納得できない」といいながら説明してくれて、例えば服を裏返しに着てしまったりしたときとか、何か絶妙にこの表現しかないという時がたまにあると言っていました。

だからいまいち活用法方までは理解が薄いです。

茨城で印象的な方言は「しみじみやって」「しみじみしろ」です。

しっかりやって、しっかりしろ、という意味です。

これが凄く茨城の人がいう時が感情がのっかって何とも言えないニュアンスがあり感動します。

なかば呆れているというか、「お前なぁちゃんとやってくれよ」みたいな人情がドカンとのっています。

もう故郷の秋田より長く住んでいる茨城ですがこれをうまくは使えません。

でも凄くいい方言と思っています。

パート先の先輩、私より十歳程年上の方が、言ったときおもしろく感じました。

パート先はパン屋です。

パンはある意味生き物です。

ある日のサンドイッチをその方と一緒に作った時の食パンの形がいびつでした。

「社長、しみじみ焼いてくれよ~」(笑)

方言はその土地の生き方が写し出されてる気がします。

 

皆さんの写真が素晴らしくて、感化されて鳥を撮ってみました。

難しいものです。


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これからは前以上に皆さんの写真、感動します。

 

いつも読んでくれてありがとうございます。

 

 

あいのかたち。

みなさんはどうお過ごしでしょうか。

年が明けて落ち着くかなと思いきや全く落ち着きません。

情緒不安定は続きます。

もしかしたら情緒不安定は生きている証ではないか、と最近は感じます。

そんな私はシャンシャンとのお別れを悲しむ人の涙をみて泣けてきました。

動物とはなんと無邪気なのでしょう。

シャンシャンのあどけない幼い頃の映像も胸が締め付けられます。

何を考えているか口にはしない動物は私たちを時に勇気づけ、時に慰め癒してくれて、その別れは胸が引き裂かれそうであったりします。

シャンシャンがいってしまう…みんなさみしくて泣いてしまう…。

なので私はシャンシャンは中国に行きたいかも?!、ワクワクしているかも?!、なんて強がって家族に言ってみたりもしました。


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情緒不安定な私だけに話がコロコロ変わります。

back numberの歌はメロディーも歌詞も何だか切なくてステキです。

何気なく聞いていたけど、こんな歌詞がありました。

「あおいまま枯れてゆく 貴方を好きなままで消えていく 私みたいと手にとって」

なんとどうやったらこんな歌詞思い付くのだろう。

感動しますね。

蕾のまま命を落とす花のように。

そんな切ないことありますよね。

この歌は、ハッピーエンドという曲だったと思います。

こんなおばさんな私も若い頃はあり、お金の大切さや親のありがたみなど欠片も感じずひたすら恋に悩んだ時もあったなぁと。

明日はどんな顔してあなたと会えばいいんだろう。

もう明日なんて来ないで欲しい。

そんな時があった自分が今の自分だと思えませんね。

 

こんな歌詞もあります。

「嬉しいことがあったときに誰かに言いたくなるのは自分よりも喜んでくれる人に育てて貰ったからなんだろうな」

back numberの手紙の曲はじめです。

これは子育てを振り返ってしまいます。

まだまだ落ち着くわけもない子育てなのですが、たくさんの後悔と反省、それでもそうしかやれなかったろうと思う自分です。

どうか愛していない訳がないと気づいて欲しいです。

好きで大事で、でもうまくいかない、間違いだらけ、そんな新米母でしたね。

もちろん今もうまくいっているわけではありませんが。

私は自分の母にとても愛情深く育てて貰ったように思います。

時代のせいもあり、姑とうまく行かなく別居して、でも祖父が亡くなり長男の嫁ということでまた同居して、そんな母が初孫になる、娘を生んだ私に「可愛くてさみしくなくなるよ。セロリが生まれたら母さん全然さみしくなくなったから」

そんな風に言われて娘として嬉しかったのになんとうまくやれない私だろう。

 

 

以前から言っていますが二児の母です。

母が慰めたり元気付けたりできなくなってから旦那が私にそれをしてくれます。

旦那は情緒不安定な私をわかってくれています。

よく旦那と子どもをさておき出掛けたりしますが、酒につられていたりします。

私の旦那はお酒が嫌いだし飲みません。

何なら酔っ払いも嫌いです。

それは私のことだろうか、と思う時もあります。

何でも紙一重です。

それで、話は戻り、私がどこへ行っても旦那と出掛けたら呑めるわけです。

そう!素晴らしいことにランチから。

何なら朝から。

なので自分がダメにならないように気を付けながら生きています。

以前は母がよく私に度を越すなと言って戒めてくれていました。

その言葉がどれだけ有り難かったか、何でもなくなって大切さを思い知るわけです。

育児がうまく行かない私はよく自分の思い通りにならないと怒鳴っていました。

気が狂っていたのかな?と思う程です。

母としての私は時として動物のようであります。

理性が効かないのです。

先日読んでいたこちらの小説では意味のわからない過激な父親が息子に言う言葉が印象的でした。


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父さんを見習わなくていい。お前の考えで生きていけばいい。

父さんは…。…ようするに馬鹿なんだ。

自分の曲げたくないことは貫き通す、そう生きてきた父親が自分を馬鹿という。

胸を熱くする言葉です。

 

そして今、夫のちんぽが入らないを描いたこだまさんのエッセイを読んでいます。

最初から胸を貫く内容にはっとします。

自分の母親を描いています。



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仕事と育児と家事におわれ、心が壊れてしまった。

私も育児では自分を抑えられなくて、旦那に「酒を飲んだら怒るんじゃない!」と言われました。

酒に逃げていました。

娘は僅かに記憶にあるのか、「母さんおかしいくらい恐かったよね」と言われたことがあります。

旦那に子どもを叱ると怒られるので旦那の居ないところで怒るようになり、それも自分でもどうすることも出来なかったりして、当時は馬鹿の迷宮入りのようなものでした。


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そして私も子どもが病気や怪我をするとパニックになる母親でした。

自分の心に1ミリも余裕のない母親でした。

 

娘をしっかりさせないといけないと何かに追い立てられているような強迫観念に囚われていました。

それでもありとあらゆる困難はくるわけです。

それはある意味、誰でもそうでしょう。

例えば子どもが難病の人もいれば、障害が生まれた時からある子どももいるわけです。

私はそういうことはなかったにも関わらずとちくるった状況によくなってしまって。

娘の夜尿症では悩みました。

息子が生まれた時に、黄疸が出て一緒に退院できなかった時もマタニティブルーが酷くダメでした。

振り返れば恥ずかしいことばかり。

怒ったり怒鳴ったりして、それでもバック作ったり、勉強教えたり、一緒に工作したり、散歩にいったり、それを繰り返していましたね。

こだまさんのエッセイをみると、娘目線で書かれていますので、冷静でわかりやすいです。

うちの娘もまたそんな風に考えたり思ったりする日がくるのかな?

それとも諦めて離れていくかな?

終わったことはやり直せないので、これからどうするかでしょうが、それもまたやれているのか繰り返しているのかよくわかりません。

 

息子のバスケットボールでも悩みは尽きません。

悔しくてがんばって。

がんばっても悔しくて。

そのうち悔しさに慣れてしまうかもしれない。

アドバイスしては失敗した気になって、もう言うのはやめようと思ってもまた言ってしまったり。

言ってもいいじゃないかと開き直ったり。

落ち込んだり。

 

やっぱり生きているうち悩み続けるんだろうな。

でもあいがあるのはまちがいないんだけど、へんなかたちになってしまって、…。

読み直すと投稿したくなくなりそうだから、もうそのまま。

(笑)

 

明日は苦手な仕事になってしまって、寝るべきなのに、何やっているのか。

 

夜はへんなかたちにより一層なる気がする。

 

酒はのんでません。

明日の仕事が心配で。

 

読んでくださってありがとうございます。

聞き流してくださいね。

 

 

もう2月、最近考えていること。

お久しぶりです。

もう2月になりました。

節分が終わり次はバレンタインデー、そして3月には雛祭りですね。

そしてもう卒業シーズンで春がグッと近付きます。あっという間に年度末で新しい年度になるわけです。

 

今朝のニュースでクマが冬眠をしないでうろうろしているというニュースをやっていました。

うちの娘がテスト前でも寝る前に韓国ドラマをみないといけないと言います。

朝起きると眠いというのに、そのヘンテコなルーティングを崩すつもりはないようです。

だからクマの親子の画像にアテて、「韓国ドラマをみないとやっていられないから寝てられない、冬眠なんてもったいない!」なんて言ったりしてと、娘に朝から言ってみました。

苦く笑って朝からテスト勉強です。

夜のドラマをやめられないから。。

 

昨日は息子のクラブチームの練習の送迎でした。

私は最近の物価の高騰と年明けの今後の遣り繰りの不安でますます節約をがんばっています。

なので、家に帰って、また迎えに行くガソリン代を削ろうとして練習場所の近くのスーパーへ時間を潰しに行きます。

するとちょうど値引きの時間がやってくるわけです。

スーパーによって値引きする時間が決まっていて、惣菜コーナーに芸能人でもきたかのような人だかりになります。

私も恥ずかしげもなくそこに加わりシールが目当てのものに張られるのを待ちます。

バスケットボールのスクリーンアウトさながらです。

いい場所がとれなければ目当ての品物をゲットできないわけです。

狙いを定めたものがみんなの狙いかはわかりません。

しかしあとひとつしかないものだったりすると、スクリーンアウト次第です。

不思議なものでそういう気持ちが似たような人たちが集まると意外と変な優しい譲り合いの気持ちが生まれたりします。

「お前がそれを欲しがるなら、私はこちらでも構わない」

「みんな同じ気持ちだから五個全てなんて買わないよ、一個ずつでいこうではないか」

…誰もそう思っているかはわからないですが、牽制しあったり、労いあったりはある気がします。

色んな人がいます。

料理をしないで惣菜に頼る人はもちろん、私のように主婦の人もいます。

油や卵、小麦粉、肉や魚まで高くなる訳ですから、全部出来上がった惣菜が作るより安くあがる場合もあるわけです。

唐揚げやハムカツ、コロッケなどが私は狙ってしまいます。

なかなか倍率が高く難しいのが寿司パックです。

話が逸れますが、スシローの動画ではさすがに行きたくなくなりました。

回転寿司というちょっとしたテーマパーク的な要素を含む飲食店はみんなの尊厳があってこそ成り立つんだなと改めて思いました。

SNSの拡散やフォローの為に過激なものの発信にアンテナが立つのも時代でしょう。

民間警察がいっぱいな訳ですが、それも違法です。

プライバシーも線引きもよくわかりません。

さてスーパーの値引きに群がる話ですが、私のような主婦だったり、また仕事帰りのお父さんだったりもいるわけですが、またまたそれをこう思っちゃう訳です。

雛鳥が待つ巣に餌を持ち帰る親鳥が獲物を狙う瞬間。

(笑)

値引きシールが張られる瞬間をいい場所で待つしがない一主婦が。。

 

さて、そんなアホな考えをする程、気持ちが少しは落ち着いてきたかもしれません。

何も変わりはなく、しかし不安を家族に打ち明けて、みんなが少しでも節約だったり、お金の使い方を考えてくれることが気持ちを楽にしてくれます。

自分の不安を家族にわかって貰うというのはこんなにも気持ちが楽になるということを知りました。

なぜか不安は隠さなきゃならない気がしていたのです。

よく学校で嫌な目にあったり、苛められたり、理不尽なことが起こったりした時、家族に言えなかったりするのと似ています。

ちゃんとやれているよ、

そう思わせなきゃならないと破裂しそうになっていました。

虚勢を張ってしまうのでしょうか。

 

また旦那と筑波山に登ってきました。


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今回は山頂から景色が見渡せました。


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今回は背中にやましいものを抱えて登りました。

そのせいかとても険しい登山に感じました。


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やましいものは真ん中のノッポなやつです。

はくがついてしまって…


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天気は良くてもまだまだ寒かったのであたたまりました。


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下りはロープウェイで。

出店で大判焼きとチョコバナナを子どもへお土産で買いました。

 

もうすぐ読み終わりますが、今はこれを読んでいます。


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読み始めて読んだ気がすると思ったので二回目かもしれません。

だけど最後がどうなのか思い出せないので読んでいます。


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別れは淋しいことではない。

出逢えた結果のゴールだ。

そういう考え方もあるんだなぁとしみじみしました。

この話しは主人公が小学6年生の男の子です。

社会人の姉と小学生の妹と喫茶店をやっているお母さんと家で何をしているかわからない過激なお父さんと暮らしています。

東京で、裕福ではない家庭で同じような友だちと学校を楽しんでいる少年です。

読んでいて、今は親である私が子ども時代を懐かしく苦く考えてしまう物語だと感じます。

子どもには子どもの社会があり、親に何ともして貰えない難しさが、そういえばあったなぁと思い出しました。

親や先生は目線が違うのです。

そもそも一時の解決のためにしか動いてくれません。

根こそぎ解決できなく、何なら大人はもっと子ども社会をかき乱して、小さな吹出物が手術が必要な位膿ませてしまうことになりかねないのです。

大人に振り回されて傷付きながら思春期を過ごす少年目線がとても心動かされます。

我が子も「母さんに言ってもしょうがない」とどれだけのことを諦めたかな。

当時の私もそうだったし、そう思うことはある意味必要なことのような気もします。

今は母さんには母さんの上手く行かないわかって貰えない難しさがあるわけで、誰もがどの瞬間もそうなのだろうと思えます。

 

節分の時のお面も配るスーパーが殆どなくて、ギリギリで見つかりいただきました。


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読んでくれてありがとうございます。