間違いだらけの母親。

育児では、悩みや学びが半端なくて、いつもいつも手探りです。

 

当時、私たちが子どものときは割りと親は忙しすぎて学校に子どものことは任せていた感じがします。

モンスターペアレントなんて言葉も当時はなかったです。

今はとにかく過保護が当たり前な感じです。

まかり通ってます。

過保護が当たり前過ぎて、子どもを見守っている親は放任のような無頓着な態度に勘違いされそうです。

過保護がぶつかり合って子ども同士が上手く付き合えなくなったりしているところもありました。

先生方も心を病んでしまったり、過保護な親に気を遣い過ぎて、手が掛からない親の子を平等にみれていない時もあります。

おかしなことになっています。

しかしそれが今です。

今の時代です。

今の時代の普通なことです。

そう思わないとやっていけません。

普通は不変ではありませんから。

常に世の中の普通は変動していくものです。

 

私は育児をしていて、色んな失敗を繰り返してきたと今はやっと思えます。

間違いと知ってがんばる人はいませんから、当時の私はそれが正しいと思って間違いを一生懸命がんばりました。

これからもそういうことあると思います。

新しいことが度々訪れるのが子育てですから。

 

この言葉が誰かに響くかわかりませんが、自分の得意なことは本当に気を付けて教えなければなりません。

響くかわからないと言うのは、私が誰の言葉も響かない結果ここまで突っ走ってきたからです。

特に初めの子ども、娘には気合いが入りすぎて色んな失敗を繰り返してしまいました。

自分の得意なことは、ほとんど芽を摘んだ感じです。

私は絵を描くことが得意です。

家庭科も好きです。

算数、数学も得意です。

それらはほぼ芽を摘んだ感じです。

気を付けるべきは、教えて欲しいと頼まれてないのに教える必要はないのです。

教えすぎもよくありません。

教えているうちに熱を帯びてきてあっという間に燃え尽くす勢いです。

焼け野はらです。

血の繋がりに遠慮できない。

自分は自分。子どもは子ども。

そういう当たり前がわからなくなってしまいました。

当時の自分は気違いでしたね。

これからもそうなり得ますが。

 

昨日、娘が数学の問題をお父さんに聞いてきてました。

…焼け野はらにし過ぎた結果です。

私は耳をダンボにしつつも、静かにしていました。

教えたい、口を挟みたい、でしゃばりたい気持ちの我慢我慢の時でしたね。

血です。

お父さんと娘はよく似ています。

「わかる?父さん~」

「うーん、塾の先生に聞けば~」

「聞いてもよくわからなくてさ」

「難しいなぁ~忘れたなぁ」

!求められているんだからがんばってくれ!父さん!

「なんでだろう?難しいなぁ~」

Googleで調べたりなんだりしてました。

少し覗きにいくと、ここにこれを入れて求めて、絶対値出せばいいのでは?みたいな感じをやっとこさ導き出してました。

一個やったら娘がもう1つっていうのにはギブアップしていました。

私は歯をくいしばって、気持ちを沈める為にお風呂に入りました。

お風呂から上がったらもう別の会話でしたね。

当たり前か。

それで夕飯をがんばって作りました。

美味しいと家族がもりもりたべました。

 

そう。

がんばることは美味しいご飯を作ることでした。

そして与えたいことと求めていることは常にすれ違います。

 

今日もがんばります。

 


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