いつもありがとうございます。
私の処理しきれない気持ちを読んでくれて嬉しいです。
最近ニュースをみていて、時代が変わったなぁと感じます。
色々思って。
統一教会の二世の方の意見が響いて、宗教の選択ができるのかもしれません。
いいことだと思います。
しかし私はもともとの性格が八方美人で、光が当たれば影の部分をみるようなところがあって。
甲子園で勝って校歌が流れる一方、泣きながら砂を持ち帰る負けたチームが気になるような気持ちが常にあるのです。
私は自分の家も私自身も特に宗教を信仰していないというか、まぁ仏教ではあるようです。
でも今までの人生でそういう宗教に深く携わっている人との出会いはありました。
まずは小学生の頃、転校してきた男の子が給食で肉を食べませんでした。
それは宗教の教えだと言っていました。
その人の親はとてもその宗教を深く信仰していました。
つまりは二世信者ということです。
噂で聞きましたが結婚する時、宗教をやめたいと親に言ったら「縁をきる」と言われて、お嫁さんの方のお婿さんになったようです。
私がまだ結婚する前に働いていたところで仲良くなった人がよく仕事でも助けてくれたり私を気に掛けてくれたりしてくれました。
その人は宗教を信仰している人で、私にもどうかと言ってきました。
それは悪気のない優しさでした。
その人も二世でした。
親がやっていて、たまにお寺にいくような感じで小さい頃はそれがとても嫌だったけど、そのうちその教えに助けられたり支えられたりするようになって、旦那さんともその宗教で知り合ったと言っていました。
子どもの名前もつけて貰ったと話していました。
私はいつも昔から気持ちが不安定なのでそういうことを打ち明けていたら、実は宗教に助けて貰っているんだけど、一緒にお寺に行ってみない?と言われました。
何回か断ったら誘わなくなりました。
善意だと思います。
娘が幼稚園の時に出逢った人が、今ニュースで話題になっている統一教会の人でした。
その人とは幼稚園の委員会が一緒で、みんなが嫌がる役割りを積極的に引き受けてくれる優しい人でした。
今思えば、何でもやってくれるのをいいことに面倒を押し付けられるようなところもあった気がします。
私自身も初めての幼稚園の委員会で余裕がなく嫌な思いも多かったのです。
幼稚園の行事で、下の子がまだ2歳で、それでも司会をやらなければならなくなって、その時に託児制度もつけると言ってそこでみて貰おうと言われました。
そう言ってくれた方と一緒に託児の業務をした人が統一教会の信者の方でした。
行事が終わって託児をして貰っているところに息子を迎えにいくと、泣き続ける息子をその信者の方が抱っこしながらあやし続けていました。
すみません、ありがとうございます、と言っていたら、もう一人の託児の方が「この子泣きっぱなしで誰にも懐かなくて大変すぎ!」と言ってきて。
それはとてもショックで、その人が託児の制度で預かるから司会をやってほしいと気のいいことを言ってきたのに、うちのこは人見知りがひどくて可愛げがないのはわかるのですが預かる前と態度が一変していて驚きました。
そしたらその息子を抱っこしていた信者の方が私に「頭の良い子だよ。親がちゃんとわかるんだもの。人見知りは子どもの成長なんだから、ほら、お母さんきたら泣き止んできた!」って本当に嬉しかったのです。
その方はたまに統一教会の本を配ったりしていましたが入ってくれとは言いませんし、もちろんお金もとらないで無償で本を渡していました。
合同結婚したのよ!と嬉しそうに話していました。
夫婦が仲がいいと子どもはすくすく育つっていう教えだと言っていました。
今ブログをかいていたら、速報で統一教会の被害者が救済される法案ができるようです。
苦しんだり辛かったりする人がいたら救われて欲しい。
しかし宗教に救われている人もいます。
だから親子でも信仰の自由があって欲しいです。
納得しての二世だっているはずです。
私は宗教云々はわかりませんが、その時の彼女の言葉にどれだけ救われたかわかりません。
今思えば些細なことも当時は親子で存在を否定されたように辛かったから。
幼稚園の時も宗教をやっていると言うだけで距離を置いたり態度を変える人もいて、信仰の自由はあるようで偏見が多いかもしれません。
私はやはり人はその人自身をみたいと思ってしまいます。
園児虐待のニュースも何か衝撃でした。
しかし昔はよくあったのかもしれないと思ったり、その職場の雰囲気などでやっているつもりなくやってしまうのだろうかと感じたり、そのうち監視カメラとかで管理したらロボットみたいな保育士ばかりになるのかなとか色々考えてしまいました。
今は職場もパワハラやセクハラなど、言葉や態度が難しいです。
私は保育園でもぼんやりしていてよく叱られた記憶があるし、小学生の頃もできないことでは酷いことを先生に言われました。
しかし親に言うこともなければ自分がやはりダメだからそう言われるのだろうと思っていたかもしれません。
アルバイト先でも「お前みたいなのはどこでもやっていけないぞ!」と言われて実際働くのではその人の言うことも当たっていたのではないかなと感じます。
しかしやはり今はダメで当時はそれがよしとされていたということです。
子育てしていると、とてもびっくりするモンスターペアレントもいて。
先生に土下座させた、とか。
教育委員会に連絡した、とか。
話しにならないから校長先生に話した、とか。
今は先生や保育士も大変な職業です、昔以上に。
息子の初めての集団生活をした児童館の教室の先生が同じ職員たちに虐められているような感じで苦しかったです。
親子行事の時もうまくまとめられなかったりすると、違う先生が「全くしっかりできなくてすみませんね、こちらでお願いします!」とガリガリ突っ込んできて、子どもたちは戸惑うし、一部の親にはその先生の悪口を言っているようでした。
そのうち堪えかねて、知り合いの方が教育委員会にいると言うお母さんが相談して、虐めていた人を異動にしてくれたようです。
働きにくい世の中です。
働きやすいようにしていっているなかにも難しさがあります。
私はそんな世の中の厳しさを嘆いていたら、自分が職場で陰で何か言われていたことに週末気付いて、苦しくてやめたくなりました。
しかしそんな私だから陰口になったのでしょうね。
面と向かうともっと落ち込むから。
だけど陰で言われていたらいつまでも気付けない。
いつまでも言われて笑われて格好のネタになる。
…やはり時代は変わっても自分のどんくささは変わっていない。
世の中のことを光側に、陰側に考えたり寄り添ったりする暇もない自分なのに。
そんな目にあったくらいで、なんて思っても自分はもっとそんな目に堪えられない人でした。
私の愚かさに驚きます。
旦那が落ち込むと慰めてくれます。
がんばっているよ、誰よりも。
そんな世の中の母親はみんな私よりがんばっているのに。
気持ちが沈むと母さんに「大丈夫だよ。心配いらない」と言って欲しくなります。
それが今は旦那が言ってくれる。
こんな幸せはないことなのに、母性をみて、母親の自分の中の偉大さに共感しました。
母とは18歳から離れて暮らしているのに気持ちの中では全然自立できていなくてむしろ頼ってしまっていたんだなぁと最近思います。
コロナ禍が凍結したようになっていたことを今世の中が元に戻るようになって気持ちが溢れてしまいます。
私の考え方は常に変動的で、昨日の黒が今日は白になってしまう。
それでもいいと、
思います。
安定の茶色。
生姜焼きと麻婆茄子、サラダ。
麻婆茄子は味噌味にしました。
生姜焼きもいつもは大きめ肉を二枚ずつとかにしていたんですが、豚こま肉で刻み生姜で作りました。
料理も変動型。
何でもいい。
何とかなる。
なるようになる。
読んでくれてありがとうございます。